2008/03/18

不安という風景 スタジオ・シェーマへのお誘い その3

ポスト @ 12:48:53 | 演劇

チェーホフの『三人姉妹』が書かれたのはロシア革命前の1901年。別役実の『壊れた風景』は1976年。単に70数年のひらきがあるというだけでいい。その歴史的な位置づけや、現代性もまた問題ではない。演劇史的な関連性、そういうものがあったとしてだが、これもまたここでは捨象しうる。たまたま過日、わたしは『三人姉妹』と『壊れた風景』を読んだに過ぎない。
そこに「不安という概念」ではなく、命名されざるものとしてある、とりあえず「不安の風景」あるいは「不安の鼓動」、また「不安の息吹」でもいいが、そういうものをここで持ち出してみたいと思う。ここではまだ個別性である。
個別的であり続ける不安は、個別的であり続けることによって恐怖と手を組むことができる。この意味でこの不安は、形而上学でいわれる「理性」によって培われたものであり、ついに「語られぬもの」となり、病の隣で命名されざるをえないのだ。存在者を存在者たらしめている枠のなかにとどまって。仮にそれを「イリーナ」や「男1」のように呼ぶなら明らかだが、それは囲い込むことによって可視化を、同時にこの囲い込むことによって可視化を嫌い、不可視化を装うことによって場に住み着かせるしかないのである。これは「沈黙」へと至る。そして不安は沈黙ではない。沈黙は自然≠理性の所業であり不安によって飼いならすことはできない。
ここでいう不安は、それは「モスクワ」という都市への眼差しとして誕生し、その都市のなかでの「壊れた風景」と成り果てたのである、ということになる。そしてチェーホフと別役実のその手立てにはうなるしかないのであるが……
ではさて、なぜチェーホフが不安に手をつけたのか、また別役実がその不安を思想的なるものを手立てに立ち現れるのか、これらのことどもに触手は動くが、すでにそれらはもう問題ではないだろう。
ついにこれらは個別的でしかないのだ。その共同性を幻視できたとしても。たとえば、チェーホフの『三人姉妹』を近代劇、あるいは心理劇として位置づけたとき、別役実の『壊れた風景』もまた近代劇、あるいは心理劇となるしかないということである。言葉をかえれば、仮に不条理劇というものがあり、それは状況を言葉として囲い込むことによって、概念として現実化し、つまり状況をこうだと説明=切り取る。言葉として囲い込むとはそういうことだ。ここに、別役実のいう「行為」を持ち込むことによって、囲い込みは破綻へと歩みだす。だから、ここに『ゴドーを待ちながら』という鏡を置き、その前に『壊れた風景』をたたせるなら、その鏡には『三人姉妹』が映っているということになるだろう。
やはりわたしはついに、強引に、別役実の『壊れた風景』を近代劇としてのみ読み解いていることになるのだろうか。実のところ、正直に吐露すれば、やはり確信めいたものはない。ただ、スタジオ・シェーマ『ネスト』の先に、いまだ命名されざるものを、想定せざるをえなくなったいま、前述の「行為」が破綻するとは、やはり一つの可能性ではないのかということとなった。
不安とは、わたしたちの生活の中で物理的に繰り返される関係の結果の、一つの捻じ曲げ方であるとするなら、それは実態から導き出されるものでなく、いわば形而上学である。つまりは理性という病である、という言い方も残念ながら主知主義であるのだが、ここでは、この不安をアイデンティティーへのエネルギーとするなら、この不安はそのアイデンティティーの抹殺によって完成を見る。自我の崩壊とは、現在に生きるわたしたちにとって<死>以外を意味しない。不安を不安として行為するとはそういうことだ。
では、破綻はいかにして導かれるか?
不安を不安として行為しないことである。いうまでもなく、わたしたちは日常の生活のなかでそうしている。だが、その不安が武器に置き換わったとき、わたしたちは、事件を見る。だがこれは、不安の破綻ではない。いわば、事件へいたった行為者の破綻、不安との決着の付け方という作業結果である。恐怖はまだそこにある。
ここまできてもレトリックに頼るしかないが、たとえば武器が銃器とするなら、その銃器から飛び出る銃弾の弾頭こそ、破綻を導き出す可能性である。銃弾はすでに不安ではない。その銃弾の弾頭こそ、まず何かに出会う。それが、遂には痛みと命名せざるを得ないかもしれないなにかであるのだろうが、弾頭にとっては、すべての可能性を秘めた、いまだ命名されざるものであるのだから。
たとえば、それは銃器などという大それたものでなくてもいい。果物ナイフの鈍い刃先は、リンゴの皮の表面を目指す。あなたの指先の皮膚は、キーボードの一つのキーの窪みを目指すように。
こうして演技という行為は、痛みやある概念を押し付けられるものではない。何かとするものであるのだ。このときいわば「不安」は瓦解する。

Trackback : Off

Comments in Forum

Discuss