「nest」 未知座小劇場スタジオ・シェーマ 2008 上演台本         登場人物         女A・クレール・マーシャ・トゥーゼンバフ・アンドレイ …………… 打上花火         女B・ソランジュ・オーリガ・フェラポント・ヴェルシーニン ……… 曼珠沙華         女C・奥様・イリーナ ……………………………………………………もりぐち泉 [  目 次  ]              1章   UUUUUUUUUUUUUUUUUUUUU  001              2章   UUUUUUUUUUUUUUUUUUUUU  003              3章   UUUUUUUUUUUUUUUUUUUUU  010              4章   UUUUUUUUUUUUUUUUUUUUU  025              5章   UUUUUUUUUUUUUUUUUUUUU  056              6章   UUUUUUUUUUUUUUUUUUUUU  061              資料   UUUUUUUUUUUUUUUUUUUUU  064              奥付   UUUUUUUUUUUUUUUUUUUUU  072 [  1 章  ]       ドラムスティックの音。五分から十分間続く。その音、最後は落語・出囃子の一番太鼓に似る。       客電絶妙にゆっくり変わる、かもしれない。       舞台中央前部には、アステカ文明でいわれる「生贄の台」と思われる造形物がある。だが台座がベンローズの三角形を装っているので、モダンなテーブルにリンゴが一つ乗っているということになるのだろうか。そこには違和感なく鉈(ラスコーリニコフの斧)もある。舞台の某所に椅子。上に載った果物籠にはリンゴが数個ある。       舞台奥正面に、かなり大きな、やけにクラシックな、重層な鏡台。この鏡台には、能舞台の鏡松を連想させる、松の盆栽が置かれている。       鏡と松。 [  2 章  ]       舞台照明は予想に反して変わらない。       言ってしまえば変化は見受けられないかもしれない。つまりは開演前とはなんら変わらない。それは変わったのだが観客に認識できない、といえる。また、客電も同等である。       最後の暗転、「幕」までこの状態であるかもしれない。       これはきっと舞台の俳優からは客席がみえ、作業の集中や緊張感の度合いをそぐかもしれない。見られることをいつもと違って意識せざるをえないであろう。約束事の外に放り出されているのだ。また、観客は各席が明るいわけだから、他の観客がみえる。ということは、反転してみている自分がみえるわけである。総じてこの事態を打開するにはいつものように、俳優以外にはない。       女A登場していた。佇む。腰をおろし、膝を抱えて座る。顔にパックシート(能面)。       夕日。       女B登場していた。マスク(能面)。佇む。腰をおろし、膝を抱えて座る。首に紐を提げている。手に和箒。       夕日。 女B ザザー、ザー、ザー…… 女A キラ、キラ、キラ…… 女B ザザー、ザー、ザー…… 女A キラ、キラ、キラ……       「ザー、ザー」と「キラ、キラ」は人には聞こえない呟きや小声から、数分かけての大きな声となる。潮騒(小道具での擬似音)も入る。       一端の静寂。 女A (手話で)なんとか……。 女B そうなんや。 女A 多分に。 女B ある。 女A 先長い。 女B 好み…… 女A ジャズやね。 女B 首飾りね、消えた。みえへんねんや。 女A 手袋ね。 女C 行くわ。       女C、登場。マスク(能面)、サングラス。片手にはスカーフ。以下のCは携帯電話を持ちながらかざして話す。この携帯電話は能舞台でシテが持つ笹のようにみえる。「生贄の台」にすすむ。 女B もういい加減にせなな。 女C やはり行くわ。 女B やはりいい加減にせなな。 女A 明日は、郵便局いかなな。 女B きっと、なんとかなるやろ。 女A 手袋の指がな六本あったら、便利やで。五本で普通やから、普通以上に便利になるやろ。機能的にプラスワン。 女B 1408年、室町時代。初めて南蛮船で象がきたんや。足利義持の時や。 女A ワシが一番。えろう目がええ。二三`先の野鼠がみえるらしい。「鳥目」は嘘やで。夜に飛ぶ渡り鳥困るやろ。 女B 蛇はな、温度でもの見るらしい。 女A ヘー・ビ、ックリした。温度にも眼があったんや。 女B 世間にかて口はある。 女A 障子にかて眼はある。 女B もっと希望のあることいえへんか。 女A 素直なんもかなぁんな。 女B 目覚まし鳴るで。 女C もうすぐ行くわ。 女A そんなもん当てにして…… 女B 孤独や。 女A 時間。 女B 落ち込むんやない。 女C さよならね。行くわ。 女A 時間。 女B 当てにすな。 女C きっと帰ってくる。だから今は、行くわ。 女A はよ行き。 女B 天の川の西の岸に、すぎなの胞子ほどの小さな二つの星が見えます。あれはチュンセ童子とポウセ童子という双子のお星さまの住んでゐる小さな水精のお宮です。……そして帰っておいで。 女C でも、行くわ。 女B ではみなさん、さういうふうに川だと云われたり、乳の流れたあとだと云われたりしてゐたこのぼんやりとした白いものがほんたうは何かご承知ですか。 女C …… 女B では…… 女A まぼろしです。膨大な数の恒星の集団です。あのはくちょう座61番星は11.4光年のかなたです。94608億キロメートル×11,4の彼方です。11,4年前の幻影です。 女B するとあなたはないものを見ているのですか? 女A そうかもしれません。 女B ないものが見えますか? 女A 幻影です。 女B その幻影が見えているのですね。 女A 見えないが、見えているのです。 女B それは矛盾ではありませんか? 女A 時間の中で、わたしの視線が…… 女B あなたもですか? 女C 小学五年生の給食時間でした。牛乳に唾を入れられたことがありました。飲めと云われても飲めませんでした。牛乳瓶を持って体育館横の二五メートルプールに駆けていきました。牛乳をプールに捨てると、牛乳は消えていきました。でも、牛乳一瓶でしたが、わずか一瓶の牛乳ですが消えてなくなったわけではありません。見えないだけなのです。そしてまた、二五メートルプール分の一瓶のわたしの思いも消えたわけではありません。       と、手に持っていた鉈をリンゴに振り下ろした。鉈、途中で止まる。置く。 女B あなたも見えないものをみているのですか? 女C …… 女A そんなもんはよ行ってすててき。 女C もうすぐ行くわ。       と、女C退場。 女B あかなんだら、行ったままにし。       女A、持っていた化粧用のスプレーを空に吹きかける。 女A 風の音やね。 女B シジュウカラ。 女A 石榴がはじけた。 女B 五十肩…… 女A リンゴがはじけた。       向こうで目覚ましが鳴る。 女A なんとかなるやろ。       女Aは舞台奥の鏡へ。ズボン落ちる。 女B 昨日の今としても、今日の今とどう違いますんや、てそらそないゆうても、そんなもん、勝手に決められても、なんとお答えしましょか。そら困るわな。大そうに、人参切ってもそら人参や。どこまで切ったら人参やなくなるゆわれても、困るのはあてだけだっしゃろとはこれいかに。 女A まあ! 女B 悲鳴…… 女A まあ、まあ! 女B 腐ったリンゴが踏み潰された。 女A 大地に接吻なさい。 女B もう秋か。――それにしても、何故、永遠の太陽を惜しむのか、俺たちはきよらかな光の発見に志ざす身ではないのか、――季節の上に死滅する人々からは遠く離れて。       女Bは急に立ち上がり、C H A G E & A S K A の『Y A H  Y A H Y A H 』のフリ。ゆっくり。そして早く。またステップも踏む。やがて手にナプキンをかける。 [  3 章  ]       女Aはこのとき上着を着たまま、手袋とズボンを脱ぎ、椅子にかける。黒の下着である。鏡に向かって化粧。この後、台詞の中で適度にサングラスやスカーフを着けて奥様となっていく。 クレール まあ、まあ、まあ、また手袋だわ。いつまでやっているつもりかしらね、その手袋! 何度も言っただろうに、台所へ置いておおきって! それで牛乳屋を誘惑する魂胆なんだ、それに決まっている。いいえ、嘘をついても無駄です。流しの上に掛けておおき。いつになったらわかるの、この部屋を穢してはならないってことが。なにもかも、そうよ、すべて! 台所からやって来るものはね、汚物よ、痰唾よ。出てお行き。さあ、お前の痰唾を持って! お止めったら!    ご遠慮なく、お好きなように。急ぐには及ばないわ、そうよ。時間はあるんだから。出てお行き!    服を出しておくれ。急いでね、時間がないから。お前、いないのかい? クレール! クレール!  ソランジュ 奥様、お赦し下さい、奥様の菩提樹花のお茶の仕度をしておりましたので。 クレール お召物をだしておくれ。きらきらのついた白のドレスですよ。お扇子と、エメラルドの宝石と。 ソランジュ 奥様の宝石を全部、でございますか? クレール 出しておくれ。選びたいのよ、自分で。それから、もちろん、エナメルの靴ですよ。お前がもう何年も前から欲しがっていた、あれ。    きっとお前の結婚式のためね。白状なさいな、あの男に手ごめにされたって! まあ、なんて大きなお腹だこと! 白状なさいったら! (女Bはリンゴに唾を付けて、ナプキンで磨いている。)    言ったでしょう、クレール、唾はおよしって。唾はね、お前さんのなかでどろんと眠っていればいいの、お前さんのなかにただ溜まっていればいいのよ。まあ、どうでしょう、本当に醜悪よ、この子ときたら。もっとかがんで、わたしの靴に映る自分の姿をよく見てごらん。いったい、わたしの足がお前の唾液の膜で覆われていると思うのは、気持ちのいいことだとでも言うつもり?お前の泥沼から立ちこめてくるあの靄だよ。 ソランジュ 奥様が美しくあらせられますようにと、そればかり願っておりますの。 クレール お前は、わたくしのことを嫌っているのでしょう、そうですね?わたくしを押し潰そうとしているのですわ、なにくれとなく気をつかい、自分はへりくだりへりくだって、グラジオラスと木犀草を山のように積んでわたくしを押し潰す。こんなに飾り立てて、無意味。花が多すぎる。死にそう。わたくしは美しくなるわ。お前が決してなれないほど美しく。この体、この顔ではない、お前がマリオを口説くのは。あの低能な牛乳配達の若者は、お前を馬鹿にしているのです、だから、子どもを孕ませたのは……       女Aは興奮して頭に血が上りふらついた。女Bが椅子を持って来たところだった。座る女A。 ソランジュ まあ、とんでもございません、わたくし、決してそんな…… クレール お黙り、馬鹿だよ、この子は。ドレスを! ソランジュ 赤のドレスですわ。奥様は赤のドレスをお召しになるのです。 クレール 白のだと言ったのよ、きらきらのついた。 ソランジュ 奥様はお召しになるのです、今夜は、この真紅のビロードのドレスを。 クレール あら、そおお?なぜ? ソランジュ わたくし、忘れることができませんの、ビロードのドレープに包まれた奥様の胸が。そうして、奥様は溜息をつかれ、旦那様にわたくしの熱心なご奉公ぶりをお話になるのですもの!黒ずくめなら、未亡人のお身の上には一層ぴったりでしょうけれど。 クレール なんですって? ソランジュ 申し上げましょうか、もっとはっきり? あの人の欲望は冒涜によって燃え上がる、丁度馬が清らかな霜柱を踏みしだいて勇み立つように。そのためにあの人は、いつもちゃんとした手続を踏むのです。汚れた土にしみた水を、朝の冷気で険しく聖い霜柱に結晶させる、のです。 クレール ああ、そう。言いたいわけね、つまりあれが……結構よ。脅迫なさい。せいぜい悪態をつくがいいわ、ご主人様に向かって。ソランジュ、あなたが言いたいのは、そうでしょうが、旦那様を見舞った災難のことでしょう。馬鹿よ。それを言い出す時じゃないわよ、今はまだ、だけど、あたしは、そうよ、見事に使って見せるわ、今の話。にやにやして。本気にしないのね? ソランジュ わざわざ掘り起こす時じゃありませんわ…… クレール わたくしの恥を?わたくしの恥! 掘り起こす?なんて言い草! ソランジュ 奥様! クレール わかっているのよ、お目当ては。耳を澄ませば聞こえてくる、あんたの非難の言葉が、にぶく鳴り始めている。始めっから、悪態の連続じゃないか。いつわたしの顔に唾をはきかけられるか、その時を狙っているんだ。 ソランジュ 奥様、奥様、わたくしどもはまだそこまで来ておりませんのよ。旦那様が…… クレール 旦那様が刑務所に入っておいでなのは、みんなわたしのせいだ、そう言いたいんだろう! お言いなさいよ、遠慮しないで。いつもずけずけ言うじゃないか、お言いよ。わたしは裏でこっそり行動する、この夥しい花に隠れて、でもあんたには何もできないさ、このわたしに盾つくようなことはね。 ソランジュ どんなつまらない言葉でも、あなた様には脅迫と映るのでございますね。なにとぞ、奥様がお心にとめておかれますように、このわたくしは女中にほかならないということを。 クレール 旦那様のことを警察に密告した、旦那様を売るのを承知したからって、あんたの言いなりにならなきゃならないのかい?でもね、わたしには、もっとあくどいことだって、やろと思えばできたんだ。もっと巧妙にさ。わたしが苦しまなかったとでも言うの?クレール、わたしはね、やっとのことで手を動かしたのよ、わかる、やっとのことで手を、無理やりに、ゆっくりと、しっかりと、書き間違いがないように、消したりしないですむようにと、わたしは書いた、あの手紙を、わたしの愛しい人を徒刑場へ送ることになるはずのあの手紙を。それなのに、お前さんはわたしを助けるどころか、馬鹿にしようっていうのかい?未亡人だなんて! 旦那様はまだお亡くなりになってはいないのですよ、クレール。旦那様は、徒刑場から徒刑場へと、あげくの果てはあのギュイヤンヌまで送られることになるのだわ、きっと、そしてこのわたくしは、あの人の愛人であるこのわたくしは、悲しみに身も世もあらず、狂ったようについていく。送られていく囚人の群れに入ります。あの人の栄光をこのわたくしも分かち合うのです。(と、鉈を持ってリンゴに迫ったが、振り上げた鉈を下ろせない。……)未亡人の身の上ですって?白のドレスは、女王様の喪服ですよ、クレール、知らないのね。白のドレスはいけないなんて! ソランジュ 奥様は赤のドレスをお召しになるのです。 クレール いいわ。着せておくれ、お召物を。(と、脱いだズボンをはく)ああ、本当に、わたくしは一人きり、お友達もいない。お前の目のなかには読みとれます、お前の憎しみが。 ソランジュ お慕い申しております。 クレール どうせ奉公人がご主人様を慕う慕い方よ。わたくしのことを慕って、敬って。あわよくば、遺言で何かもらおうという魂胆、自分のためには特別の但し書きをつけてもらって…… ソランジュ たとえ火のなか、水のなか…… クレール わかっています。火のなかにだってわたくしを放り込みかねない。ホックをかけて。そうぎゅうぎゅう引っぱらないで。無駄よ、しめあげようとしても。わたしの体にさわらないで。お退り! 獣のにおいがする。どこの臭い屋根裏部屋かね、夜な夜な下男どもが忍んで来てさ、こんな臭いにおいをしみつかせるのは。屋根裏部屋! 女中部屋! 屋根裏の女中部屋さ! ただ忘れないためだけですよ、わたくしが屋根裏の女中部屋のにおいのことを口にするのはね、クレール。あそこにはね……あそこには、鉄のベッドが二つ、低いテーブルをはさんである。あそこには、安物の松の木で作った箪笥、その上には、ちっぽけなマリア様の祭壇。そのとおりではなくて? ソランジュ わたくしどもは不幸せな女です。泣きたいくらいですわ。 クレール そのとおりです。言わないでおきましょうね、わたくしたちが石膏のマリア様をお祀りして、跪き、お祈りしていることは。言わないでおくわ、紙の造花のことだって……紙のね! それにあの有難い柘植の枝のことも! ご覧、この夥しい花の花弁を、わたくしのために花開いているのですよ。クレール、わたくしは、はるかに美しい聖母様! ソランジュ もうお止めになって…… クレール そして、あそこよ、くだんの天窓がある、裸同然の牛乳屋が、お前のベッドに飛び込んでくる入り口です。 ソランジュ 奥様は大それたお話を、奥様ったら…… クレール その手! 大それたのはお前の手だよ。何度文句を言ったかわかりゃしない。おかげで、流しまで臭くなるんだよ。       と、女Aは興奮して頭に血が上りふらついた。女Bが椅子を持って来たところだった。座る女A。 ソランジュ お尻の線が! クレール え? ソランジュ この曲線ですわ。直させていただいておりますの、恋の流れるお尻の線を。 クレール さわるのはおよしったら、ど助平!       と、女Aは鉈を取るが、戻す。 ソランジュ どろぼう、ですって、わたくしが? クレール ど助平って言ったのよ。どうしてもめそめそしたいんだったら、屋根裏の女中部屋でなさい。ここでは、わたくしの部屋ではね、高貴な涙しか許しません。わたくしのドレスの裾は、いつの日か、涙の玉を連ねて星のきらめきとなるでしょう、でもそれは宝石の涙なのです。裾をお直し、引きずり具合がわるいのよ、お引きずり!       と、またもや女Aは興奮して頭に血が上りふらついた。女Bが持って来た椅子に座る女A。 ソランジュ 奥様は興奮なさって! クレール 香水のいいにおいのする腕に抱かれて、悪魔に攫っていかれるのよ、わたくし! 軽々と抱きかかえられ、地面を離れ、わたくしは行ってしまう、行くのよ……行かないでおくわ。ネックレスは?急いでよ、時間がない。ドレスが長すぎたら、折りかえして、安全ピンで止めておおき。       と、女Bは奥様の手袋を拾おうとする。 クレール その手、向こうへやっておおき。お前にさわられると、こっちの体まで穢れてしまう。急いで。 ソランジュ オーバーですわ、それは。奥様のお目、火がついたよう。川岸までもうすぐですわ。 クレール なんていい草。そうでしょうが、クレール、復讐ね、そうだわね?あんたは感じている、自分の役を離れる時が近づいていると…… ソランジュ わたくしのこと、実によくおわかりですわ。わたくしの考えていることまで、お見通しなのですもの。 クレール あんたは感じている、あんたが女中ではなくなる瞬間が近づいているって。復讐だわね。支度はできた? 爪は研ぎましたか?憎しみに頭は澄み切っているね?クレール、忘れてはいけないよ。クレール、聞いているのかい? クレールったら、聞いていないの?       と、女Aは、再び鉈を取ろうとする。 ソランジュ 伺っております。 クレール このわたくしよ、このわたくしというものを介してのみ、女中というものは存在する。わたくしの叫ぶ声、わたくしの仕草があればこそよ。 ソランジュ 伺っております。 クレール あたしのお陰なんだよ、現にそうしてそこに存在していられるのは、それなのにあたしのことを馬鹿にしようっていう! お前にはわかりはしない、奥様であることがどれほど辛いか、いいかい、クレール、お前さんたちのおためごかしのお芝居の口実になっていなきゃならないことが! あたしがちょっとその気になりゃ、お前なんぞこの世に存在することを止めてしまう。でも、あたしはね、気が優しい、それに美しいわ、お前なんぞ物の数じゃない。恋する女としての絶望が、いやが上にもわたくしを美しくしているのよ。 ソランジュ 奥様の大事なお人! クレール わたくしの大事なお方、お気の毒なあの方は、いやが上にもわたくしの高貴さを高めているのです。わたくしは大きくなるわ、そうすると、お前はますます小さくなって、ますます逆上するという仕組み。何でも好きなトリックをお使いなさい。今が汐時よ! ソランジュ もうたくさんです! 急いで下さい。準備はよろしいですか? クレール あんたは? ソランジュ 準備はできております。嫌悪の対象となっているのはもうたくさんでございます。わたくしだって、憎んでおります、あなた様のことを……       と、女Bは、女Aの鉈を取る。テーブルのリンゴへ迫る。 クレール 興奮しないで、ね、興奮しない…… ソランジュ 憎んでおります、あなたのことを! 見下げはてたお人です。もうあなたの前でびくびくなんかしません。あなたの愛おしいお方の思い出を、呼び起こしておくことです、ご自分を守ってもらうために。憎んでいます、わたくし、あなたのことを! 憎んでいます、あなたの胸元を、かぐわしい薫りの息がはずむその胸を。あなたの乳房を……象牙の白い艶! あなたの太腿……金色に輝いている! あなたのおみ足……琥珀色! わたくしの憎悪! クレール ああ! ああ! 待って…… ソランジュ そうですわ、奥様、わたくしのお美しい奥様。あなたは信じ込んでいらっしゃるの、何もかも、すべてあなたには許されていると?天上の美しさを奪いとって、しかもわたくしにはそれを下さらないでいいというわけ?あなたはお好みの香水を選ぶ、お好みの白粉を、お好みのマニキュアを、絹を、ビロードを、レースをお選びになる、そしてわたくしには下さらない?その上、わたくしからは、牛乳屋まで取り上げておしまいになると?白状なさいまし。白状なさい、牛乳屋のこと! あの男の若さ、あの若い体のさわやかな感触、それでもうどうしていいかわからなくなった、そうでしょうが?白状しておしまいなさい、牛乳屋のこと。ソランジュはね、あなたなど糞食らえなんだ! クレール クレール! クレールよ! ソランジュ なんですって?       と、女Bは、鉈をテーブルに戻そうとした。 クレール クレールよ、ソランジュ、クレールよ。 ソランジュ ああ、ちがった、クレールだわ。クレールはね、あなたなんぞ糞食らえなんだ! クレールはここにいます、いつもよりはるかに清らかに澄み切って。光輝いているわ。 クレール まあ、クレールったら、ああ! あんた……ああ! ソランジュ 奥様は考えていらっしゃる、夥しい花のバリケードに守られ、特別例外の運命によって、生贄のおかげで救われるに決まっていると。それは、女中たちの叛乱というものを余りにも忘れておいでというものだ。さあ、今こそ爆発したのです、女中たちの叛乱が。今こそ、あなたのいい気な色恋なんぞ、女中たちの叛乱によって、ぶち破られ、ぶっつぶされる。あなたのいとしい旦那様にしたところで、たかがけちなこそ泥にすぎない、そしてあなたは、うす汚い…… クレール お黙り! ソランジュ 黙らせる、このわたくしを?ご冗談を。奥様こそ物も言えないでいる。お顔は、まあ、どうでしょう、引きつっちゃって。ご覧になりますか、お鏡?       と、女Bは、鉈を再びかまえた。 クレール お前の鏡のなかで、わたくしはひときわ美しい! 危険に身をさらしたわたくしの美しさには、後光が射している、クレール、ところが、お前なんぞはただの暗闇…… ソランジュ 闇は闇でも地獄の闇です! 知っております。先刻ご承知ですわ、その名台詞は。あなたの顔を見ていれば、お答えしなければいけないことがそこに書いてあるのだもの、そう、わたくしはとことんまでやりとおしてみせますわ。二人の女中がここにいる……ご奉公第一の召使い! その女中たちを軽蔑するために、もっともっと美しくおなりなさい。あなたのことはもう、わたくしども、恐れてなんぞいませんわ。わたくしどもは、一緒に包み込まれ、一つに入りまじってしまっている、そうですわ、わたくしどもの臭い息に、あなたを祀るお祭りに、あなたに対するわたくしどものお憎悪のなかに! わたくしどもは、今こそはっきりと姿を現すのです、奥様。いけませんわ、お笑いになっては。ええ、絶対に、お笑いになるのはいけませんね、わたくしの口のききようが大袈裟だなんて…… クレール お退り。       と、女Aは女Bの鉈を取りテーブルに戻した。 ソランジュ それもまた、ご用を勤めるためですわ、奥様。わたくしは台所に戻ります。そこでわたくしの手袋と、わたくしの臭い虫歯のにおいを取り戻しますわ。静まりかえったなかでごぼっという、あの流しの音。あなたには花がある、わたくしには流しがある。わたくしは、女中です。あなたでも、少なくともこれだけはお出来にならない、わたくしを穢すことはね。天国へ行けば勝てるだろうと思うのは浅はか。できますことなら天国までもお伴したい、そのほうがましでございますわ、わたくしの憎しみ、入り口で放り出してしまいますよりは。ちっとはお笑いになったらいかが、お笑いなさい、お祈りをなさい、急いで、大至急! さあ、もう年貢の納め時だよ、いいかい! その手、どけたらどうだい、お出しよ、そのほっそりとした首っ玉を。さあ、ふるえない、ふるえない、手際はいいからね、音も立てない。そうですわ、わたくし、台所へ戻りますわ、だがその前に、血まみれ仕事を片づけようか。(目覚ましが鳴る。)……もう時間?       と、目覚ましのベルの音がやけに長い。この間、女Aと女Bは2章のはじめのように佇む。腰をおろし、膝を抱えて座る。 クレール 急ぎましょう。奥様、もうじきお帰りよ。手を貸して。もう終わったのよ。あんた、最後まで行けなかったわね。 ソランジュ いつだって、同じだわ。あんたのせいよ。あんたって人は、早く仕度ができたためしがない。あんたを殺すところまでいけないんだ。 クレール 手間ひまかかるのは、下準備のほうよ。それに…… ソランジュ 窓のほう、よく見張っていて。 奥様 まあ、まあッ! (と、袖中で声) ソランジュ なに? クレール え? ソランジュ なにか、聞こえなかった? クレール 別に。 ソランジュ 朝靄のなか、轍に打ち捨てられた腐ったリンゴが、時速三十八`のタイヤに踏み潰されたような、悲鳴みたいなイヤな音。 クレール 潮騒だけよ。 ソランジュ カモメだって鳴くわ。 クレール 海鳥はカモメだけじゃないわ。嘴ピンクのアホウドリだってアホって鳴くわ。 ソランジュ まあ、まあ、いい、海面や砂浜から飛び立つには、相当な向かい風と長い助走がいるわ。羽ばたくの苦手なの。そうは羽ばたけないの。だから今まで気が付かなかったとしても、ほんとにアホ〜って鳴いたの。 クレール ……アホ〜ーじゃないわ。アホ。 ソランジュ ジャイケン、チョキ! クレール (パーを出す)……(間)       潮騒(小道具での擬似音)。 クレール アホウドリって番でしょ。 ソランジュ 番でも一緒に泣くって決まってないでしょうが。気になるんだったら、もう一つはあなたが引き受けてよ。 ソランジュ も一度、ジャイケン、チョキ! クレール (再びパーを出す)……       潮騒(小道具での擬似音)。 ソランジュ 捕まえるのが簡単だったわけ。だから「阿呆な鳥」。アホ〜なんて鳴くわけないじゃない。ずいぶんな自意識過剰ね。 クレール だから、私のはパーで紙でしょ。あんたが出したのはハサミ。 ソランジュ 興奮して何を仰ってんの。 クレール いい、これが石なの。この石を斧で細かく砕くのよ。何回かなんて問題じゃないわ、とりあえず細かくね。目に見えないくらいまで細かく砕いたっていいわ。するとほら、この掌の上に大地ができた。……どう、どんな大地に見えて。木々が茂っているかも知れない。それはアスファルトかもしれない。表通りの雨上がりの砂利道だっていい。あなたの故郷の大地だっていい。草原。川が流れている。家々がどこにでもあるように建っているわ。人が行きかっているわ。車が行き過ぎる。夜にはネオン。雑踏も夜には眠りに就く。……そんな大地に接吻したんだわ。 ソランジュ え? クレール 聞こえたんでしょ。変な音。 ソランジュ ええ。 クレール 空耳だったの。 ソランジュ 潮騒が? クレール 腐ったリンゴが踏み潰されたのよ。 ソランジュ 仕度ができて、通りすぎたかも知れないのね。 クレール 腐ったリンゴが踏み潰されたその音をゆっくりと時間をかけて聞いてみるといいんだわ。それでも駄目なら。超低速回しで聞いてごらんなさい。大地と唇が擦れた…… ソランジュ …… クレール 大丈夫、時間の余裕はあるわ。全部片づけられるように、目覚ましは進めてあるもの。 ソランジュ 目覚ましはもうなったんでしょ。 クレール …… ソランジュ 蒸すわね、今夜は。一日中、蒸し暑かった。 [  4 章  ]       袖中で女Cの声がする。 奥様 まあ、まあ、まあ、また手袋だわ。いつまでやっているつもりかしらね、その手袋! 何度も言っただろうに、台所へ置いておおきって!       女Cすでに登場している。帽子、マスクをしている。目覚まし時計を肩に下げている。サングラスをしている。手にはスカーフと携帯電話。 奥様 斧は返すべければわがここにあることを人に言うな。その礼としてはその方の身上良くなり、奉公をせずともすむようにしてやらんと言いたり。そのためなるか否かは知らず、その後胴引きなどという博打に不思議に勝ち続けて金溜り、程なく奉公をやめて中位の農民になりたれど、この男は疾くに物忘れして、以前かかることありきと語りしかば、やがて噂は近郷に伝わりぬ。家産再び傾き、また昔の主人に奉公して年を経たり。       舞台中央にある鉈を取る。そこに携帯電話を置く。リンゴあるいは携帯電話へ鉈を振り下ろす。リンゴあるいは携帯電話の上でピタリと止まる。       なおこの後しばらく、女Aと女Bは狂言を模した語り口が随所いにみえる。 クレール 奥様! ソランジュ 奥様、いかがいたしました。 クレール 奥様、どうなさいました。 奥様 だめだわ… ソランジュ 大丈夫です。それでも帰っていらっしゃいます。どうってことありません。ちょっとドサ回りにおでかけだったんでしょう。行きがけの駄賃と申しますから。知ってしまえば目から鱗です。ですから、帰り道の借金があったって、世間様は白い目では見るもんですか。そもそも世間に目があるなんて、落語じゃないんですから、笑っちゃいますよ。表にでたら、鬼太郎の親父だらけですよ。まあ、なんてことなんでしょ。見つめられて悦に入るなんて、ジャリタレじゃあるまいし、もう話が続きませんよ。人目はばかることなく、表通り歩きたいんです。そこで怖いのは、表通りのお天道様の下をやってくる(女Aは『傷だらけの人生 』の口カラオケのイントロから始める。歌う。)鶴田浩二「お説教じみたことを申して参りましたが、そういう私も日陰育ちのひねくれ者、お天道様に背中を向けて歩く……馬鹿な人間でございます」。この決め台詞を聴いた瞬間ですよ。奥様もそうでございましょう。ですからあたしは鬼太郎の親父にいってやったんです「親父、あんたは本当は右の目玉か、それとも左の目玉か?」って。すると二日酔い突き抜けて、目が真っ赤に充血。頭がないから目に血が昇ったんだわ。解説どころじゃないわ大変だ。(女Aへ)ねえ、ここ突いて。ボンッ(歌終わる)、自爆、ボンバーマン。……(間)では、あたしがんばって世間の口に戸を建てさせていただきます。だからでございます、そのこんなものは勢いですから、何だってもう大丈夫です。そういう風にいたしましょう。単なる出会い頭ですから。わかりました。奥様、たまたまこれは、象の目だったんですよ。世界の色彩が多くないんです。こッちとこッちが、それはもう世界が白色に染まって、いやそれは乳白色かもしれません。なにせ、この場合はインド象なんですから、少しは動かないと判別できないんですから。経験豊かなインド象だって難しかったと思いますわ。ですから、申し上げたいことは、サバの目でもいいってことなんです。話は拡げませんわ。だからボンッ、こうして私が風圧を加えます。斧の切っ先よりも早く、このリンゴをめがけ風圧で射抜くのです。リンゴはグラッときます。大丈夫でございます。そんなに動きません。その揺らぎの中に風圧を斬って、やさしくリンゴの幻影をその斧で愛でてあげるのでございます。はい、ついに象の目から鱗が落ちてしまいました、でございますよ。 奥様 きっと、たぶん、多めに見ても、控えめにだってだめだわ… クレール どうです奥様、うまく割れましたか? ソランジュ ズーと割れてないの。 クレール 大丈夫ですとも奥様、だれが奥様の前で割れてないなんていいはるものですか。 奥様 あの人が帰ってくるわ。 クレール たまたまそうだったとしても、それはたまたまですから心配いりませんわ。ですから、絶対に割れてないなんて決め付けたとしても、そんな論証誰ができるものですか。 ソランジュ そんな言い訳をどっから引っ張ってきた。デカルトか、それともアリストテレスか? ソランジュ 割れてなんかいません。あなたは、何を蒸し返したいの。また私にしゃべらせたいのね。そうね。いいわ! クレール それでは奥様、歌って差し上げます。 ソランジュ 演歌なんて聴きたくありません。 イリーナ ……根性ね、根性がなかったんだわ。でも、泣かないわ、あたし泣かないわ。……もう沢山。……ほらね、もう泣いてなんかいないでしょう。沢山だわ。……もう沢山! クレール・ソランジュ 何をおっしゃいます、奥様! クレール リンゴは木から落ちるものです。 ソランジュ 斧は軽くはありません。僅かな質量でも運動に助けられ惰性を産みますわ。 クレール 落ちるリンゴに勝って、運動量を増やすのではありませんか。 ソランジュ まあ、それではアルキメデスは亀に追いつけないじゃないの。 クレール (間)どういたしまして。 ソランジュ どうもいたしてないわ。 クレール だから、リンゴが落ちてしまうじゃないの。 ソランジュ 落ちるから、ここで移動が停止するのでしょ。 クレール まあ、まあ、なんてことなの。アキレスは亀とどこで出会うの。永遠に追い越せないのね。 ソランジュ まあ、まあ、まあ、休憩をそんなに悪く言うの。 クレール まあなんてことなの、アルキメデスはアキレスになって、今度はたかをくくった兎になってしまったのね。 ソランジュ まあ、とんでもないわ。休憩してるのは兎でしょ。亀じゃないでしょ。 クレール・ソランジュ ええ! クレール アキレスは走るわ。亀も走るわ。アキレスは亀ね。 ソランジュ 兎も走る。亀も走る。兎は亀ね。 クレール クレールは笑うわ。クレールは泣くわ。笑うは泣くね。 ソランジュ 兎はきっと恥じて死ぬわ。人間もやがて死ぬわ。すると兎も人も人間ね。 クレール 亀だって長生きするけどきっと死ぬわ。アキレスも人間だから死ぬわ。もうアキレスは亀ね。 ソランジュ まあ、まあ、まあ、まあ! 奥様 アルキメデスの指なんてどうでもいいわ。お帰ししておくれ、さうして、かう申し上げて。「公爵夫人はもう決してお目にかかることはありますまい」と。 オーリガ そうよ! そうして早くモスクワへねえ。 奥様 何ですって? クレール 元気をだして。 奥様 バスティーユ宮殿はどこに行ったの? ソランジュ でもアルフォンスは私を、一つの物語のなかへ…… クレール さあ、元気を出して。 ソランジュ さあ、元気を出して、ソランジュ。 クレール もう違うわ。 ソランジュ クレールだわ。そう、だから元気を出して。 奥様 アルフォンスは私を、一つの物語のなかへ…… ソランジュ 公爵様は私たちを閉じ込めてしまった。牢の外側にゐる私たちのほうが、 奥様 閉じ込めてしまったですって。わたしは佐渡なんかにいたこともないし。行くいわれもないわ。 クレール もちろん、公爵さまです。そうしてまもなくお帰りです。 奥様 佐渡は遠いわ。越後の向こうよ。サドかし長旅であったでしょう。 ソランジュ でも本当は、牢の外側にゐる私たちのほうが、 クレール 牢の外側にゐる私たちのほうが、のこらず牢に入れられてしまった。 ソランジュ 私たちの一生は、 クレール 一生は、 ソランジュ 一生は、 クレール ほら御覧なさい。こんなふうよ。       と、ソランジュの持って出ていたロープを取る。 クレール なにもしないのに、いつの間にかとぐろを巻いたようにこうしてグチャグチャになるのね。あたしが望んでもいないのに、けっして解きほぐすことができないとでも言いたげね(と、投げつけた)。 ソランジュ あたしたちの一生を投げつけたんだわ。どうして…… クレール とぐろを巻く暇があるんだったら、こんな風にしてどうして前に進まないの。       と、ロープを揺すって蛇行させる。 ソランジュ クレール! クレール 違うわ。 ソランジュ ソランジュ! クレール もう違うわ。 ソランジュ 奥様! 奥様 だから、お帰ししておくれ、さうして、かう申し上げて。「公爵夫人はもう決してお目にかかることはありますまい」と。あなたのおいでになるところはバスティーユの重い扉の向こう側に織りなす、シャラントン精神病院でございます。あなたはそこで好々爺にでもおなりなさい、と。自らの理性に従って…… ソランジュ 違うわ! 奥様 なんですって! クレール そうよ、違うわ。あたしは奥様じゃないわ。 奥様 勝手になさい…… ソランジュ そうよ、当たり前だわ。だからクレールの奥様じゃないクレールの奥様。 クレール とぐろを巻いてるのはあなたの頭の中ね。ベルが鳴って奥様は、もうとっくにお帰りなのよ。最後まで行けなかっただけ。 ソランジュ だからとぐろは、こうするの。天蚕糸だって引っ張ればあたしの凪いだ気心に逆らって、いい加減に羽目を外すわ。それがあたしの頭の中だっていうのね。いいわ、だったらまずはこうしてやさしく波打たせ、上下左右前後ろをかろやかに解してあげるのよ。ウエーブ。 クレール 一直線の人生なんてどうだっていうの。ロープのくせに一人で真っ直ぐなれやしないじゃないの。どうなの。       女Bも端を持ち一緒に蛇行。女ABは二本のロープを操る。 ソランジュ さあ、根性入れて真っ直ぐになって御覧なさい。 クレール 言うことが聞けないってのね。 クレール・ソランジュ それならいいわ。       と、二人はロープを腰に巻いて、腰紐相撲。 クレール どう。ピンと背筋を張った皇尊心は。 クレール・ソランジュ …… ソランジュ なんなの、その一直線は。そうしていつまでも我を張ってるといいわ。 クレール 踏ん張れ。こら、軟弱はやめろ、体育会系! 悔しかったら芝居でもやってみろ! ソランジュ 橋下ッ!       クレールがこける。 ソランジュ 人生甘く見るんじゃないわ。 クレール そうよ。 クレール・ソランジュ 甘く見るなよ、テンポとリズム。       と、女Aと女Bは腰紐相撲で使ってたダブルダッチの縄をバンブーダンスの竹に見立てて三拍子のリズムを刻む。手拍子とともに縄の操作。       女Cはリンボーダンサーの体勢となる。が、やがてバンブーダンサーのステップ。 奥様 (バンブーダンスのステップを踏みながら)一生は、私たちの苦難の数々は、おかげではかない徒労に終わった。一つの恐ろしい物語の、こんな成就を助けるためだけに、私たちは生き、動き、悲しみ、叫んでゐたのでございます。       女Cはバンブーダンスのステップの位置を変える。 イリーナ 今日は暖かで、窓をあけっぱなしにしておいてもいいほどなのに、白樺はまだ芽を吹かない。お父様が旅団長になって、わたしたちを連れてモスクワをお発ちになったのは、もう十一年前のことだけれど、今でもはっきり覚えている……五月のはじめ、ちょうど今ごろのモスクワは、もう花がみんな咲いて、ぽかぽかして、日ざしがあふれているわ。十一年たった今日でも、わたしあすこのことは、まるで昨日発って来たように覚えているの。まあ、どうでしょう! けさ目がさめて、ぱっと一面に明るいのを見たら、春の来るのを見たら、とたんに嬉しさがこみ上げてきて、生まれ故郷へ帰りたくてたまらなくなったわ。       女Cのバンブーダンスのステップはすでに終わっていた。「生贄の台」の上のリンゴを手に持っていた。       女Aと女Bが回すダブルダッチの縄が規則正しく床を刻む。 イリーナ わたしだめだわ。きっとうまくいかないわ。       女Aと女Bが回すダブルダッチの縄は異常に早い。女C空踏み。 イリーナ わかったわ、このテンポね。でもモスクワの季節はこんなに早く巡って行かないわ。       と、ゆっくりとなった縄。リンゴを持ったままダブルダッチの縄に入る。 イリーナ きょう目がさめて、起きて顔を洗ったら、この世の中のことがみんなはっきりしてきて、いかに生くべきかということが、わかったような気がしたの。ねえ、チェブトイキンさん、あたしすっかり知っているわ。人間は努力しなければならない。誰だって額に汗して働かなければね。そこにこそ、人生の意義も目的も、その幸福も、その悦びや感激も、のこらずあるのよ。夜の明けるか明けないうちに起きだして、街で石をトンカチやる労働者や、羊飼いや、子供たちを教える先生や、鉄道の機関手になったら、さぞいいでしょうね。……ほんとに、人間であるとかないとかの問題じゃないわ、ただ働けさえすれば、いっそ牛にでも、ただの馬にでも、なったほうがましよ……お昼の十二時にのこのこ起きだして、ベッドのなかでコーヒーを飲んで、それからお召替えに二時間もかかる……ああ、おっそろしい、そんな若い女になるよりはね! 暑い日に、水を飲みたくなることがあるでしょう。あたしが働きたくなったのも、それと同じよ。これからもしあたしが、朝早く起きて頑ばらないようだったら、絶交してちょうだいね、チェブトイキンさん。       女Cは失敗するかもしれない。挑戦する。失意のうちに終わるかもしれない。       女Aは女Cのリンゴを受け取ろうと手を差し出す。女Cはリンゴを渡す イリーナ モスクワから?あなた、モスクワからいらしたんですの? ソランジュ 奥様、お気を落とされてはいけませんわ。監獄にしたところで、大革命当時とは違っておりましょうし…… オーリガ ちょうどわたしたち、あちらへ住居を移そうと思っていますの。 イリーナ 秋までには移ってしまうつもりですの。故郷の町、あたしたち、あそこで生まれたんですもの。……元バスマンナヤ街…… マーシャ 思いがけなく、同郷のかたにお目にかかれたわけね。ああ、やっと思いだした! 覚えてて、オーリャ、うちのみんなが、『恋の少佐』って言っていたじゃない? あなたはあのころ中尉で、誰かに恋してらした。どういうわけだか、みんなであなたを、少佐少佐ってからかっていましたっけ。…… ヴェルシーニン でももう、とって四十三ですよ。あなたがたは、モスクワを離れてよほどになりますか? イリーナ 十一年になりますの。あら、どうしたのマーシャ、泣いたりして、おかしな人。……あたしまで泣きたくなるわ…… マーシャ なんでもないの。あなたは、どの街にお住まいでしたの? ヴェルシーニン サンクトペテルブルグの棺桶にも似た屋根裏部屋です。 イリーナ あなたは……ローシャ? マーシャ ………あなたと、新千年紀を迎えられたらどんなによかったでしょう。歴史的瞬間や記念すべき日を、愛する人とともに過ごしたいと思うのは、どの国でも、どの時代でも、すべての人間の願いです。今の私には、それは叶いません。    そのかわり私は、あなたや仲間たちとともに過ごした過去の日々を穏やかに思い描きながら、今の気持ちをこうして書いて、あなたに贈りたいと思いました。    離れていても、降る星につつまれてオリオンを見つめたかった。地中海を望むアラブの地には、日本の都会では考えられない美しい夜があります。    オリオンの星に感動したのは、私だけではありません。初めてアラブの地を訪れた……    ………    ベカー高原やバールベックの岩場には、名も知れないローマの遺跡が点在し、大理石で補強された洞窟が私たちの訓練場だったこともありました。    太陽が彼方の地中海に消えた瞬間から、光線の先に闇をともなうように、ひたひたと夜が訪れてくるのです。瞬く間に闇が漆黒に変わると、満天の星につつまれます。限りない数の星が光り輝きます。    高台に立つと、満天から降り注ぐ星が足下の方まで広がり、星が手に握れるような錯覚を覚えます。流れ星がしずくのように舞い降りて、オリオン座が目線の上に輝きます。    ……人間など小さな存在です。歴史と世界のなかでは塵のようで、無限大の宇宙においては、人間の営みなどすべて小さなことに思え、心が平安になれます。       女Bが一人で回すダブルダッチの縄が規則正しく床を刻む。 マーシャ もう一度、美しい星を、いつか、共に見られるのでしょうか。    そんな美しい星を一緒に見ることができたら、こうしている私は、いま私の手に持つこの斧を振り下ろすことができるでしょうか。どうなるか、それは今のところ私にも、誰にもわかりません。でもそんな斧があったことは語り継ぐことができるかもしれません。それも、実のところ、まったく自信がありません。そんな私でも恋の歌を歌うことができるとおもったのです。……そうして私は決断したのです。あなたをリンゴの木の下で産もうと……        ♪リンゴの木の下で         明日(あした)また会いましょう         黄昏赤い夕日         西に沈む頃に         楽しくほほ寄せて         恋をささやきましょう         真っ赤に燃ゆる想い         リンゴの実のように        ♪リンゴの木の下で         星空を見上げましょ         ゆらめく、月の影         淡くつつむ頃に         恥ずかしほほ寄せて         夢をささやきましょう         真っ赤に燃ゆる想い         リンゴの実のように              (作曲:E.V.アルスタイン 日本語詞:柏木みのる 二番改詩・闇黒光)       と、女Aは女Bと女Cの演奏で歌う。       鉈を構える女A。 マーシャ ……この斧で十人殺せば私は間違いなく殺人鬼ですね ソランジュ フョードル・ミハイロヴィッチ…… マーシャ でももし百万人殺せば、私は英雄と呼ばれるでしょうか。 ソランジュ 今すぐ広場に出て、あなたが汚した大地に口付けをするのですよ。 マーシャ あなたは…… ソランジュ そして、世界中に百万人殺しましたというのです。 イリーナ ……この家を売って、きっぱりこの土地と手を切って、モスクワへ……教えてちょうだい、なんだってあたし、今日はこんなに嬉しいんでしょう?まるで帆をいっぱいに張って、海を走っているみたい……上にはひろびろした青空、大きな真っ白な鳥が飛んでいてね。なぜこうなんでしょう?ねえ、なぜ? マーシャ 金貸しの老婆と、偶然鉢合わせになった婆さんの妹を殺しました。でも妹を殺すつもりはなかった。 ソランジュ 地獄に堕ちた勇者を気取りたいのね。 イリーナ あなたは、人生はすばらしいと仰るのね。そう、でももしかして、ただそう見えるだけだったら。あたしたち三人姉妹には、すばらしい人生なんてまだなかったわ。人生はまるで雑草のように、あたしたちの伸びる道をふさいでしまったのよ。……あたし涙なんか出して。こんなことじゃ駄目。……働かなくちゃいけない、働かなくちゃ。あたしたちが浮かない顔をして、人生をこんな暗い目でながめているのも、元はといえば勤労ということを知らないからだわ。あたしたち、勤労を卑しんだ人たちの子ですものね。…… マーシャ みっともないとか、流行おくれだとかいう段じゃなくて、ただもう気の毒だわ。何やら奇抜な、ケバケバしい、黄色っぽいスカートに、こんなふうに下卑た房飾りがついて、それに赤いジャケットなんか着こんでさ。おまけに頬っぺたときたら、あんまりだわ。アンドレイだって、趣味があるもの。ただああして、わたしたちをからかってるのよ、かついでいるのよ。きのう私が聞いた話では、あの人は、ここの市会議長のプロドポーポフのところへ嫁くんですって。それがいいわ。……アンドレイ、こっちへいらっしゃい! ねえ、ちょっと! イリーナ 行くのはやめて、マーシャ。 マーシャ 行くのはやめなさい、か。……ああこんな生活、いまいましい、やりきれないわ。…… イリーナ あら、どうしたのマーシャ、泣いたりして、おかしな人。……あたしまで泣きたくなるわ……だから我慢なんかしないで、大きな声で泣いたらいいのよ。 ヴェルシーニン 泣いてすべてを忘れてしまいましょうか。それがわれわれの運命である以上、どうにも仕方がありません。今われわれにとって、深刻で意味ぶかい、きわめて重大なことのように思われるものも、……その時がくれば、忘れられてしまうか、些細なことに思われてくるでしょう。そこで面白いのは、そもそも将来、何が高尚で重大なものと考えられ、何がちっぽけな笑うべきものと見なされるだろうか……そこのところが現在われわれには全く見当がつかないという点です。あのコペルニクスの発見、また例えばコロンブスのそれは、果たして初めのうちは無用な笑うべきものと見えなかったでしょうか?一方どこかの変り者の書いた愚にもつかないタワ言が、かえって真理と思われはしなかったでしょうか?そして現にわれわれが、こうしてうやりくりしている今の生活にしたって、時がたつにつれて、どうも変だ、不便だ、知恵がない、なんだか不潔だ……いやそれどころか、罪ぶかいとさえ、見えてくるかも知れません。……       女Aと女Cが回すダブルダッチの縄が規則正しく床を刻む。 ヴェルシーニン おやおや! 余計なことを、どっさりね! わたしに言わせると、頭のすすんだ教養のある人に用がないなどという、そんな萎靡沈滞した町はどこにもないし、またあるはずもないと思いますね。まあ仮に、この町の十万の人口…それはもちろん、時代おくれな粗野な連中ばかりですが……そのなかに、あなたがたのような人は、たった三人だとします。言うまでもなく、あたながたには、周囲の無知もうまいな大衆にうち勝つなどということは、とてもできますまい。一生のうちには、あなたがたも段々譲歩しなければならなくなって、やがては十万の群衆のなかへまぎれこみ、あなたがたの声も現実の雑音で掻き消されてしまう。だからと言って、あなたがたは空しく消え去るのではない。なんの影響も残さずに終わるわけではない。あなたがたのあとに、あなたがたのよな人が、今度は六人でてくるかも知れません。それから十二人、それからまた……というふうに殖えていって、ついにはあなたがたのような人が、大多数を占めることになるでしょう。二百年、三百年後の地上の生活は、想像も及ばぬほどすばらしい、驚くべきものになるでしょう。人間にはそういう生活が必要なので、よしんば今のところそれがないにしても、人間はそれを予感し、待ち望み、夢み、その準備をしなければなりません。そのために人間は、祖父や父が見たり知ったりしていたことより、もっと多くを見たり知ったりしなければならない。だのにあなたは、余計なことをどっさり知ってるなどと文句を言われる。       このとき女Cが一人で回すダブルダッチの縄が規則正しく床を刻むだけである。 トゥーゼンバフ 幾世紀のちには、地上の生活はすばらしい、驚くべきものになると、言われるのですね。いかにもその通りです。しかし、その生活に今から……たとえ遠方からでも参加するためには、それにたいする用意をしなければならない、働かなければならない。…… イリーナ ああ、不仕合せなあたし……。あたし働けないの、もう働くのは御免だわ。沢山だわ、もう沢山。電信係もしたし、今は市役所に勤めてるけれど、回ってくる仕事が片っぱしから憎らしいの、ばかばかしいの。……あたしはもう二十四で、働きに出てからだいぶになるわ。おかげで、脳みそがカサカサになって、痩せるし、器量は落ちるし、老けてしまうし、それでいてなんにも、何ひとつ、心の満足というものがないの。時はどんどんたってゆく、そしてますます、ほんとうの美しい生活から、離れて行くような気がする。だんだん離れて行って、何か深い淵へでも沈んで行くような気がする。あたしはもう絶望だ。どうしてまだ生きているのか、どうして自殺しなかったのか、われながらわからない…… マーシャ まあ、あの楽隊のおと! あの人たちは発って行く。一人はもうすっかり、永遠に逝ってしまったし、わたしたちだけここに残って、またわたしたちの生活をはじめるのだわ。生きて行かなければ……。生きて行かなければねえ。……       このとき女Bと女Cが回すダブルダッチの縄が規則正しく床を刻んでいる。女Aはそれに入る。 アンドレイ ああ、一体どこなんだ、どこへ行ってしまったんだ、おれの過去は?おれが若くて、快活で、頭がよかったあの頃は?おれが美しい空想や思索にふけったあの頃、おれの現在と未来が希望にかがやいていたあの時代は、どこへ行ったのだ?なぜわれわれは、生活を始めるか始めないうちに、もう退屈で灰色な、つまらない、不精で無関心な、無益で不仕合せな人間に、なってしまうのだろう。……この町ができてからもう二百年になる。現在十万からの人口があるが、そのうち一人として、ほかの連中とちがった奴はいない。昔も今も、一人の功労者もいなければ、一人の学者も一人の芸術家も、いやそれどころか、人に羨望の念や、なんとかして見習いたいという熱烈な望みを起こさせるような、ちょっとでも目だった奴さえいないのだ。……ただ食って飲んで眠って、そして死んで行くのだ……またほかの連中が生まれて、やはり食って飲んで眠って、退屈ぼけがしないように、卑劣な陰ぐちや、ウオッカや、カードや、訴訟道楽で、生活をまぎらす。細君が亭主の目をぬすむと、亭主は見ざる聞かざるの頬かぶりで、なんとか胡麻かそうとする。そうした俗悪きわまる親たちの影響は、否応なしに子供を毒して、神々しいひらめきはだんだん消えて、やがて父親や母親と同じような、おたがいに似たり寄ったりな、哀れむ亡者になって行くのだ。……なんの用か?       この間女Aは縄跳びを失敗するかもしれない。そのたびにリンゴを持って挑戦。また鉈を持って挑戦、鉈とリンゴを持って挑戦と繰り返す。だが遂に止める。       女Bは「生贄の台」を舞台中央に持っていく。リンゴを定位置に置くなどして片付けている。 イリーナ やがて時が来れば、どうしてこんなことがあるのか、なんのためにこんな苦しみがあるのか、みんなわかるのよ。わからないことは、何ひとつなくなるのよ。でもまだ当分は、こうして生きて行かなければ……働かなくちゃ、ただもう働かなくてはねえ! あした、あたしは一人で発つわ。学校で子供たちを教えて、自分の一生を、もしかしてあたしでも、役に立てるかもしれない人たちのために、捧げるわ。今は秋ね。もうじき冬が来て、雪がつもるだろうけど、あたし働くわ、働くわ。…… ヴェルシーニン さあ、こちらへ来てお座りになったら。わたしは、よくこんなことを考えます……もし生活をもう一ぺん初めから、しかも、ちゃんと意識してやり直せたら? とね。さあ早くお座りになったら。何が駄目だったか、座ってゆっくり考えてみるのもいいわ。       女Aは女Bの前に座る。女Cは椅子に座る。       同時に女たちは急に立ち上がり、C H A G E & A S K A の『Y A H Y A H Y A H 』のフリ。ゆっくり。そして早く。またステップも踏む。 女たち ……(と、女たちの差し出す手はグー、チョキ、パー) 女B どう、今閃いたでしょ。地球の裏側で、男と女が、夕暮れ時のカフェテラスのテーブルに向き合って座っている。見つめあう視線の真ん中で、あと少しこのままいられたら、地球なんて滅んだっていいって、世間知らずな、恋の炎に焦がされた、不埒な、それでいて掛けがえのない、海よりも深い雑念が閃いた。そして、消えた。 女C うそー! でも、裏側ってブラジルよね。するとその情熱は、産婦人科。それとも散髪屋、いえいえそれはお産婆さんではありません。サンバ! いい、あなたに会えた幸せ感じて風になりたい。太陽追い越して、吹かれてきたんだわ、でしょ! 女B 見えた? 女C ええ。 女B だめ、感じて。白川静みたいに。 女C 中国三千年の歴史を超えるわ。 女A そしてまさか、そのときテーブルの上にリンゴがあったんじゃないでしょうね。 女C アンビリバブル! どうしてそんな物語をデッチあげるの。その前にオイラはドラマーだい。 女B 夕日のお話し。 女A テーブルの上の真っ赤な太陽が、これでもかって真っ赤に燃えてそして焼けて、リンゴになりました。 女C 手品みたいな物語ね。でもその前にオイラはドラマーだい。だからそれは、知恵の実ね。絶対焼きリンゴなんかじゃないわ。 女A それで。 女C それでって、あたしに聞いてどうするのよ。 女B 聞いちゃ駄目なのね。 女C 決めつけるの。でも何を決め付けたの、本当は何を決め付けたの。 女A 焼きリンゴはカラメルで包むのよ。いっそう甘くておいしい蜜の味がするんだと思う。 女C だからそれは、つまりあなたはアダムで、こちらに座ってたのがイブ、でしょ。そうなんだわ、そうなるしかないじゃない。勝手に進めないでよ。あたしが食べたいっていったわけじゃないのよ。そうでしょ。 女B あたしがアダムであなたがイブ。 女C あなたこんがらがっているわ、夕日の話でしょ。時はイブニングよ。 女B 夕日に照らされた真っ赤なリンゴが、ひときわ真っ赤に染まったとき、フーッと、フトじゃなくね「あと少しこのままいられたら、地球なんて滅んだっていい」って。 女C 風がフーと吹いたのよ。 女B 一番真っ赤に燃えたったそのときは、もうかえって来ない。その一瞬とは、あの水平線に沈み行くその最後の一瞬だけ。 女C だからって…… 女A だからその一瞬が閉じ込められた真っ赤なリンゴを食べたました。このひと時を逃さないために、慈しんで二人はリンゴを食べたのでした。 女C 明日があるわ。 女A そうして毎日、毎日リンゴを慈しんで食べました。掛けがえのないその時を慈しむには、そうするしかないのです。 女C 美味しかったらいいんじゃない。 女A アップル屋をやればなおいいんじゃない。 女C だから破産したんじゃない。そうでしょ。 女B アラ、その語気の荒げかた、まるで僕がが疫病神みたいじゃないか。 女A 風味はいつしか時間の中に沈殿し、相手のムシャぶる無防備な姿態が、夕げの団欒の笑いの影に、やがて落ちていきました。それはリンゴが腐ってしまうまでの、あわただしいひと時に見た、やるせない幻影だったのかも知れません。 女C 何なのこの人。訳分かんない。なんで呼んだの? 女A 呼んだのはあなたかも知れない。あなたじゃないっていうのね。 女C もういい。 女B 歌いましょうか リンゴの歌を 二人で歌えば なおたのし 皆で歌えば なおなおうれし リンゴの気持ちを 伝えよか…… 女A 私は真っ赤なりんごです 生まれは遠い北の国 りんご畑のおじさんに箱に詰められ汽車ぽっぽ…… 女C 私がリンゴ、ドラマー。 女B ねえリンゴよ、リンゴ、教えてちょうだいな。あなたは何時からリンゴだったんですか、それとも何時からリンゴになったんですか? 女C ズーとよ。今でもそうよ。最後のコンサートまでなんてあんまりよ。あんたさえ現れなかったら、わたしたちみんな、うまくいってたんだから。解散なんてありえなかったの。 女A それは、あんたが結局は横槍入れたからでしょ。あんたとの楽曲は連名でいくっていってたのに、そうお互いに納得してたのに、それなのにあなたの名前を先にしたりっって、ついにグチャグチャ言い出したんじゃなくって。てことはつまり、あれでしょ、きっとまえまえから、当時から煮え切らないものがあったてことじゃない。 女B 僕はきっと、彼の才能を認めていたし、尊敬していたんだ。 女C もういい、もういいっいて。別々でもいいって、二人がこの僕を手放したくないんなら、僕はいつでも君ら二人の架け橋になれるんだから。 女A それは信じているわ。でも昔にはかえれない。あのころには。あたしたちはリンゴを食べてしまったんですもの。 女C 僕はここにいる。 女B そうして僕もここにいる。 女A あたしはここにいない。あなたたちはここにいるかもしれないが、あたしの彼は、どこにもいなくなってしまったんですもの。宙ぶらりんなの、それは私のせいじゃないわ。       と、おんなAは鉈を手にする。 女A でもここに居続けることはできないんだ。 女C ここは、昔のここじゃないからだ。       女Aは手に持っていた鉈をリンゴに振り下ろそうとしている。 女A 何なのそれ、あたしが彼と変わってあげればよかったとでも言ってるの。そうよ、言われるまでもなく、換われるものなら換わりたいのは、このあたしなのよ。……どうしようもなかったのよ。あたしの目の前であっという間だったんだもの。でも換われないものがある。彼の痛みと苦しみ。それが中絶してしまうこと。そんなことは誰にだってできはしない。だから私は、この刃の切っ先になること。そしてその切っ先がせまる、痛みと苦しみにやがてなるであろう、まだ命名されずある、やがて成長するであろうあなたに、であうこと。だから、私はあなたに斧を振り下ろすのです。そのときわたしは、オノ(斧)そのものなのです。    わたしが来たのは地に平和をもたらすためでなく、わたしが来たのは平和をでなく斧をもたらすため、わたしが来たのは、人を父から、娘を母から、嫁を姑から離すため。       と、女Aは鉈を振り下ろそうとするが、やはり振り下ろせない。       次の女Bの台詞は、手話と喋りを行きつ戻りつしながら、すべて手話となる。       以下の「手話と混合」は「手話中心で英語とハングルと日本語の混合」の略記。 ヴェルシーニン すでに費やしてしまった生涯は、いわばまあ下書きで、もう一つほかに、清書があるとしたらとね! もしそうなったら、われわれは誰しも、何よりもまず自分自身をもう一度くり返すまいと、努力することでしょう。少なくも自分のために、前とは違った生活環境を作りだすでしょう。こんなふうに花のいっぱいある、光線のゆたかな住居を、設計するでしょう。……わたしには妻と、娘がふたりありますが、その妻というのが、病身な婦人である上に、そのほかまあ色々とむずかしいのでね、もし人生をもう一度やり直せるものなら、わたしは結婚はしないでしょう。……いや、決して! マーシャ (手話中心で英語とハングルと日本語の混合)二週間前にも負けたし、十二月にも負けたのよ。いっそ、すってけてんに負けちまえば、この町からみんなで逃げ出せるかも知れないわ。あたし切ないのよ、毎晩モスクワの夢を見るの……あたし、すっかりどうかしちまったわ。あたしたち、六月には向こうへ移るんだから、六月までにはまだ……二月、三月、四月、五月……ざっと半としあるわ! イリーナ (手話と混合)じっさい、アンドレイ兄さんも堕落したものね。あんな女にかかずらわって、すっかり気が抜けて、老けこんでしまったわ! 前には教授になるんだと意気込んでいた人が、昨日は、やっと市会議員になれたって、大いばりなんですものねえ。兄さんが議員で、プロトポーポフが議長。……町じゅうの評判になって、笑われてるのに、聞えも見えもしないのは兄さん一人だけ。……今だって、みんな火事場へ駆けつけたのに、兄さんは自分の部屋に引きこみきりで、どこ吹く風だわ。バイオリンばかり弾いてるの。ああ、いやだいやだ、いやだこと! あたしもう駄目、このうえ我慢できない! もう駄目、もう駄目だわ!…… マーシャ (手話と混合)いやねえ、あの人の衣裳の好みといったら! みっともないとか、流行おくれだとかいう段じゃなくて、ただもう気の毒だわ。何やら奇抜な、ケバケバしい、黄色っぽいスカートに、こんなふうに下卑た房飾りがついて、それに赤いジャケットなんか着こんでさ。おまけに頬っぺたときたら、あんまりだわ。アンドレイだって、趣味があるもの。ただああして、わたしたちをからかってるのよ、かついでいるのよ。きのう私が聞いた話では、あの人は、ここの市会議長のプロドポーポフのところへ嫁くんですって。それがいいわ。……アンドレイ、こっちへいらっしゃい! ねえ、ちょっと! ヴェルシーニン (手話と混合)わたしは、よくこんなことを考えます--もし生活をもう一ぺん初めから、しかも、ちゃんと意識してやり直せたら?とね。すでに費やしてしまった生涯は、いわばまあ下書きで、もう一つほかに、清書があるとしたらとね! もしそうなったら、われわれは誰しも、何よりもまず自分自身をもう一度くり返すまいと、努力することでしょう。少なくも自分のために、前とは違った生活環境を作りだすでしょう。こんなふうに花のいっぱいある、光線のゆたかな住居を、設計するでしょう。……わたしには妻と、娘がふたりありますが、その妻というのが、病身な婦人である上に、そのほかまあ色々とむずかしいのでね、もし人生をもう一度やり直せるものなら、わたしは結婚はしないでしょう。……いや、決して! イリーナ (手話と混合)あたしをほうり出して、ほうり出して、あたしもう駄目なの!…… トゥーゼンバフ (手話と混合)幾世紀のちには、地上の生活はすばらしい、驚くべきものになると、言われるのですね。いかにもその通りです。しかし、その生活に今から……たとえ遠方からでも参加するためには、それにたいする用意をしなければならない、働かなければならない。…… イリーナ (手話と混合)ねえ、オーリャ姉さん、あたし男爵を尊敬してるわ、感心しているわ。あれは立派な人だわ。あたし、あの人のところへ嫁きます、承知するわ。ただね、モスクワへ行きましょうよ! お願いだから、行きましょうよ! モスクワよりいいところ、この世のどこにもないわ!行きましょうよ、オーリャ! 行きましょうよ! イリーナ (手話と混合)どこへ? どこへみんな消えてしまったの? あれはどこ?たまらない、ああ、たまらない! あたし、みんな忘れた。忘れちまった……頭のなかが、ごちゃごちゃになってしまった。……思い出せないわ。イタリア語で窓をなんと言うのか、あの天井はなんと言うのか。……何もかも忘れて行く。毎日忘れて行く。だのに生活は流れていって、二度ともう返らない。あたしたち、いつになったって決して、モスクワへ行けやしないわ。……あたし知っている。行けるもんですか…… マーシャ (手話と混合)行くのはやめなさい、か。……ああこんな生活、いまいましい、やりきれないわ。…… イリーナ (手話と混合)あたし、ずっと待っていたの……モスクワへ移ったら、むこうであたしの本当の人に出会えるってね。あたしその人のことを空想して、恋していたの……。でも今になってみれば、ばかげたことだわ、ばかげたことだったわ。……       このとき女Bが女Cの首にロープをかけた。片方の端を女Aが持つ。       以下の「口と混合」は「ロープを口にくわえて、手話中心で英語とハングルと日本語の混合」の略記。       以下の「首と混合」は「ロープを首に巻かれて、手話中心で英語とハングルと日本語の混合」の略記。 クレール (口と混合)(ソランジュへ)クレール、目覚ましは進めてるけど、そんなに時間はないわ。窓から覗く前に、さあ早くことを片付けて。 イリーナ (首と混合)それは亡くなったママの時計よ。 ソランジュ (口と混合)いま決闘で、男爵が殺された。 イリーナ (首と混合)あたし、わかってた……わかってたわ…… クレール (口と混合)だめだわ! イリーナ (首と混合)こんなことじゃだめだわ。でも泣かないわ、あたし泣かないわ。……もう沢山。……ほらね、もう泣いてなんかいないでしょう。沢山だわ。……もう沢山! ソランジュ (口と混合)この家を売って、きっぱりこの土地と手を切って、モスクワへ……早くモスクワへねえ。 クレール (口と混合)きっとだめだわ、あたしたち! イリーナ (首と混合)そうよ、モスクワへなんかいけるもんですか。 ソランジュ (口と混合)なんですって!今更なにをいってんのよ。 イリーナ (首と混合)苦しいわ、水がほしいわ。コップ一杯でいいから、水が飲みたいわ。 クレール (口と混合)ここまできて何ですって! ソランジュ (口と混合)もう一度いってごらんなさい。 イリーナ (首と混合)ワ・オ・タ・ー。 ソランジュ (口と混合)ウォターですって、それはよく言えたわ。でも、あなたの世界を水と水でないものの二つに切り分けたからといって、リンゴが二つに割れるかしら。       女C苦しいのだろう、のたうち倒れる。起き上がりながらの、文楽人形。動きは『曽根崎心中の』お初、道行大詰め。女Aの太夫語り(浄瑠璃)と女Aのお初の台詞に動きと台詞もいいあわせる女C。女Aと女Bはロープ四本で人形を操るようになる。       なお、女Cはこのときリンゴを取ろうとして携帯電話を取る。携帯電話に語りかける。 クレール   ♪この世のなごり、夜もなごり、         死にに行く身をたとふれば、         あだしが原の道の霜、         一足づつに消えて行く、         夢の夢こそあわれなれ。         あれ数ふれば、暁の、         七つの時が六つ鳴りて、         残る一つが今生の、         鐘の響きの聞き納め、 ソランジュ (口と混合)お初……いとうはないか クレール (口と混合)帯は避けましたが、主様とわたしの仲はますます強うに ソランジュ (口と混合)よく締まったな クレール (口と混合)はい、よう締まりました ソランジュ (口と混合)お前と、この世でおうたが二人の因果。 クレール (口と混合)はい。 ソランジュ (口と混合)不憫はないか…… クレール (口と混合)徳兵衛さま…… ソランジュ (口と混合)恨むやないで、 クレール (口と混合)未練に重ねる時もなし、お経を念じる間に、ひと思いにッ…… クレール・ソランジュ (口と混合)南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……       このとき女Cは携帯電話を「生贄台」の携帯電話を置き、手に鉈を持っている。やがて打ち下ろす。リンゴあるいは携帯電話にははずれ台座に当たる。 イリーナ いま音がしたわ、うまくいったのね。そうでしょ。そうなのよね。 ソランジュ 楽隊…… イリーナ 楽隊ですって。リンゴ、リンゴは! ソランジュ 楽隊のおと! クレール 楽隊が行くわ。 イリーナ そうよ、楽隊の音よ、楽隊が行くんだわ。そうしてやがて時が来れば、どうしてこんなことがあるのか、なんのためにこんな苦しみがあるのか、みんなわかるのよ。わからないことは、何ひとつなくなるのよ クレール (口と混合)楽隊のおと! あの人たちは発って行く。わたしたちだけここに残って、またわたしたちの生活をはじめるのだわ。生きて行かなければ………、 三人 (首と混合とそれぞれ)楽隊の音は、あんなに楽しそうに、力づよく鳴っている。あれを聞いていると、生きて行きたいと思うわ! まあ、どうだろう! やがて時がたつと、わたしたちも永久にこの世にわかれて、忘れられてしまう。わたしたちの顔も、声も、なんにん姉妹だったかということも、みんな忘れられてしまう。でも、わたしたちの苦しみは、あとに生きる人たちの悦びに変って、幸福と平和が、この地上におとずれるだろう。そして、現在こうして生きている人たちを、なつかしく思いだして、祝福してくれることだろう。ああ、可愛い妹たち、わたしたちの生活は、まだおしまいじゃないわ。生きて行きましょうよ! 楽隊の音は、あんなに楽しそうに、あんなに嬉しそうに鳴っている。あれを聞いていると、もう少ししたら、なんのためにわたしたちが生きているのか、なんのために苦しんでいるのか、わかるような気がするわ。……それがわかったら、それがわかったらね!       この台詞の途中で女Cはドラムへ。またやがて女B準備。最後は女Aだけの台詞となる。台詞の終わりで『潮騒の歌』の演奏が入る。        ♪真白き貝が 星を見上げ         遠く向うは 朝日だろうか         紅(あかく)頬染め 小声で聞いた        ♪波にあずけた 思いを捨てて         そこから 明日がみえるだろうか         星の瞬き 照らして消える         月の光が 波の根照らす        ♪真白き貝は 波にのまれ         寄せては返す 砂のささやき         弓張月に 小声で聞いた        ♪波にあずけた 思いを捨てて         そこから 明日がみえるだろうか         泡立つ波は 見えるだろうか         月の光が 波の根照らす                  (作詞:闇黒光) [  5 章  ]       女Aのハミングが続いている。       歌が終わり女Aは佇む。腰をおろし、膝を抱えて座る。 女B ザザー、ザー、ザー…… 女C キラ、キラ、キラ…… 女B ザザー、ザー、ザー…… 女C キラ、キラ、キラ…… 女B ザザー、ザー、ザー…… 女C さよならね。行くわ。 女A こうして海見てると、手袋の指がな六本あったらなって、思うわ。便利やで。五本で普通やから、普通以上に便利になるやろ。機能的にプラスワン。       女Bがロープを持っている。 女B そらまあ、そんなことが昨日の今としても、今日の今とどう違いますんや、てそらそないゆうても、そんなもん、勝手に決められても、なんとお答えしましょか。そら困るわな。大そうに、リンゴ切ってもそらリンゴや。どこまで切ったらリンゴやなくなるゆわれても、困るのはあてだけだっしゃろとはこれいかに。で、それがどないしたんや、と藪から蛇で、リンゴを食いよった。そら「どないしたん」ゆわれても、なんとお答えしましょか。まだ食わせろともいうし、しゃあないから人参切ったがな。 (以降適当に上下を切りながら)そら人参や。 なに贅沢ゆうとんや。大きいから食われへんて素直にいわんかい。まあ切ったたがな。 そらやっぱり人参や。 しゃあないな、ほれどや。 こらやっぱり人参や。人参は人参や、リンゴとはちゃうやろ。 小賢しいやっちゃ。お前のコックちゃうぞ思いながら、際限なく切ってやったがな。どや。 あかん、リンゴか人参かわからへん。 生意気ゆうたら承知せんぞ。おのれの味覚棚に上げてなにゆうとんや。なら、ここぞでストップいえ。 もしかして、これは動物虐待でっか。 もうええ、ポテトでリンゴと人参混ぜて野菜コロッケ作ったるさかい、分かるも分からんもないうちにベジタブル、丸呑みせえ。 待ってる間に物まねでもさせてもらいまひょか。 わからんギャグゆうてたら腹減るぞ。尻尾でも咥えとけ! オーノー。 女A ……なにゆうとん。 女B 独り言や。 女A え? 女B まあ、いわば教養の溢れたリンゴと蛇の二人言やな。 女A・B …… 女A なに見てん。 女B ひと時の夕日や。昨日のでもない、明日のでもないこの夕日やな。 女C さよならね。行くわ。 女A あかなんだら、帰ってき。 女C あんたは? 女A え? 女C 靴はいてるさかいに。 女A 日も落ちたし、帰る。 女C さよならね、私も行くわ。 女B はよせな目覚まし鳴るで。 女A そんなら、もうすぐ行くわ。 女C きっと帰ってくる。だから今は、行くわ。 女B 帰ってきても何もないで。日の落ちた波打ち際で聞こえるのは潮騒だけや。暗闇の中でとめどなく繰り返される、止むことのないボレロ的リフレインや。引き込まれて出られんようになる。でも、星が見えるんやったら帰ってきてみ。 女A 孤独を絵に書いたようなもんや。 女C 行くわ。 女A 郵便局やったら明日にしい。 女C あのな、 女A いくんやろ。 女C 海にな、この牛乳瓶の牛乳入れたら、ちょっとは海、白うなんやろか。 女A 試してみるか? 女B もう海も帳のなかや。 女A なんなら目えつむってやってみ。牛乳、見えるかもしれんで。 女C 何億分の一ぐらいやろか、この百八十CC。 女A はよ、行き。 女B きっと見えるやろ。その白い牛乳。見えたんなら、あの星からかて見えるはずや。 女C やっぱり行くわ。       同時に女たちは急に、C H A G E & A S K A の『Y A H Y A H Y A H 』のフリ。ゆっくり。そして早く。またステップも踏む。ここは三人の合唱、歌あり。 女A・B はよ行け!(女たちの片手はグー、チョキ、パー)       と、女Cは携帯電話を取り、牛乳を目を閉じながらこぼし始める。この牛乳の音にあわせて舞台は溶暗へ。       と、同時に、おんなAは潮騒。女Bは一人で回すダブルダッチの縄が規則正しく床を刻む。       溶暗が進むにしたがって潮騒とダブルダッチの縄の音大きくなる。 女C (携帯電話で話すように)牛乳瓶を持って体育館裏の浜辺に駆けていきました。牛乳を海に捨てると、牛乳は消えていきました。でも、牛乳一瓶でしたが、わずか一瓶の牛乳ですが消えてなくなったわけではありません。見えないだけなのです。そしてまた、この夜の海分の一瓶のわたしの思いも消えたわけではありません。       完全暗転のなか、潮騒と縄が床を刻む音。 女B 皆さん見えますか。見えない人は目をつむってください。ほら、天の川の西の岸に、すぎなの胞子ほどの小さな二つの星が見えます。あれはチュンセ童子とポウセ童子という双子のお星さまの住んでゐる小さな水精のお宮です。そうしてみなさん、さういうふうに川だと云われたり、乳の流れたあとだと云われたりしてゐたこのぼんやりとした白いものがほんたうは何かご承知ですか。       女Aも潮騒(小道具での擬似音器)をもっている。潮騒。       潮騒がやけに長く聞こえる。 [  6 章  ]       フィナーレ。『シングシングシング』の演奏、歌、タップ。        ♪海は風         船は舞う         舳先は朽ちて         奈落の底になだれ込む        ♪星流れ         月陰り         帳の息吹         夜空を赤く染め焦がす        ♪紅色の         沈んだ夜は         帳の色香(かおり)         奈落の果ての潮騒か         奈落の果ての潮騒か                  (作曲:ルイ・プリマ 作詞:闇黒光)       暗転       幕                                  (二〇〇八年二月九日) [  補記  ]          上演台本を用意するにあたり、左記の作品等を引用し、また資料としました。列          記し謝意とします。忙中失念もあります。       『銀河鉄道の夜』『双子の星』宮沢賢治       『地獄の季節』ジャン・ニコラ・アルチュール・ランボー       『遠野物語』柳田國男       『女中たち』ジャン・ジュネ       『サド侯爵婦人』三島由紀夫       『サド侯爵の生涯』渋沢龍彦       『三人姉妹』アントン・バーヴォロヴィッチ・チェーホフ       『新約聖書・マタイ福音書』       『罪と罰』フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー       『曽根崎心中』近松門左衛門       『りんごの木の下であなたを産もうと決めた』重信房子 [  資料  ]    ※これらの「資料」は一般公開され、公演会場などで配布されました。    【 「未知座小劇場スタジオ」のために 〈 その1 〉】     解釈学や言語学を援用するまでもなく、人は言語(パロール)によって思惟する。さらに思惟を重ね、思考する。それはこうあると仮設する〈世界〉に理念としてにじり寄ることになるだろう。このことはまた、わたしたちが筆記具で文字を綴ることによってそのリズムを肉感し、一抹のエネルギーらしきものを磁場として体感できることでわかる。こうして、文字を書くということも、そのことによって思考することに他ならない、ということができる。ではさて、演技という地平ではこのことを、どのようにいうことができるであろうか?     身体による行為の反復といえば、それはあまりにも原初的で原始的な想像力を行使する、ということに通じるが、やはりそこから始めるしかないということも疑いがないのである。ここでいう行為とは、まず記号としての指示性を持たない〈事柄〉であるから、一義的に意味に還元されない。つまりこの試行錯誤を、俳優は言語によって思惟するのではなく、まずは身体によって思惟する、ということができる。これを、人の属性を言語によって思惟するものであるとするなら、俳優の身体とは言語にほかならないことになる。暴言でもなく言いきれば、演技とは身体を言語化して思惟することであるといえる。さらにまた、俳優は身体を持つものだけのものではない。住みつく場としての舞台を持つ。つまり、舞台とは身体を言語化する場のことであるのだ。     未知座小劇場スタジオはこの俳優の属性を恒常的に確保することを目指そうと思う。それが未知座小劇場という小屋である。未知座小劇場スタジオとはこの小屋を舞台として、稽古場として私有化するシステムのことである。    【 「未知座小劇場スタジオ」のために 〈 その2 〉】        焼肉とハツ 三木成夫 - その4     残暑厳しきおりと思われます。皆様もやはり、ウダル暑さに根拠なく耐えておられるでしょうか。     驟雨や夕立を期待しましょう。     といいながらも、鰻の蒲焼いただくか、焼肉をつつきながら生ビールというのは、こよなく結構でしょう。生肝、生レバー、ユッケもさらに上品です。生センはもう歯にあいません。     昭和20年代、戦後まもなくの話です。大阪・鶴橋の焼肉屋さんでオヤジが開店前のネタ仕込みをしておりました。食糧難の折から、仕入れもままならず、赤犬の肉でも混ぜたいと秘かに思っていたオヤジですが、バレた時のことを考えるとふみきれない小心者。ふと残飯桶に目をなげると、下働きのお初さんが、切り分けて捨てた肉のなかからなにやらより分け、それを洗い場に持っていこうとしています。どうするのだと声をかけますと、マカナイに使うといいます。おもわず「もっとエエ肉あるやろ」といいそうになりましたが、そんなものはどこにもありません。     マカナイは大変おいしかった。生姜とニンニクをつけてサッと炙っただけ。ただそれだけでした。オヤジはお初さんに「どこの肉や」と聞いていました。     もうお分かりのように、翌日からその店では「ハツ」としてメニューにのぼりました。これがハツ肉のゆわれですが、人によっては語源は「heart」にあるともいいます。ハツといえば鳥や豚の心臓の肉のことをいうのだと物の本にありますが、最近の焼肉屋ではハツでとおります。やはりお初さんの心使いですからニクからずハツは初だということでしょう。     さて、ハツは「ココロ」ともいいます。     問題はどうしてハツがココロなのか?     ココロが後から来たのは明らかでしょう。heartやお初に語源が求められるということは、一ひねりが必要だったことを意味します。このひねり具合が必要でなければ、はじめから心臓の肉は「ココロ」です。この直接性をためらうところに「heartやハツ」があるということです。したがって「heartやハツ」が一般性という認知度の具合によって、「ココロ」という直接性、想起される直接性は薄められ、その用語の位置と意味を一般性の中で情報効果をもったということになります。     ここでわたしが射程せざるをえないことはここには、心臓=心が、わたしたちの文化に仮説としてあったのだ、ということです。     三木成夫は心とは内臓である、といいます。誤解を導くいいかたですが、わたしはそのように三木成夫を読みますが、それはわたしにとっては五臓六腑のことだとしてみることができます。五臓―肝臓・心臓・脾臓・肺臓・腎臓の五つの内臓。六腑―大腸・小腸・胆・胃・三焦・膀胱の六腑。     肝を潰すとは五臓の反応と思われます。腑に落ちるとかいう心の、あるいは気のありようは大腸・小腸・胆・胃・三焦・膀胱の落ち着きさ加減なのでしょう。わたしの田舎の九州・大分では驚くことを「たまがる」といいます。これは、金玉の玉が上がることです。……女性の方はなんというか知りません。忘れてしまいました。三木成夫とは少々離れたことになるのでしょうが、たぶんそれはわたしたち日本人といわれるものの五感に刷り込まれているのでしょう。     こうなると、脳死臨調が1999年に示した脳死(脳波の停止、無呼吸、瞳孔開放等)は人の死ではなく、心は生きていることになる。心があるのだから人は、死んではいない。想像に難くないのは、三木成夫はこの脳死という人の死に対して異をとなえたであろう、ということです。もちろんわたしはこれを演劇的に解決しなければならないが、その道筋のすべてはレスピレーターに向かいます。     余談ではないがテレビで、閉じこもった横綱・朝青龍の部屋を訪問した精神科医という方のぶら下がりインタビューの「心の問題です。精神状態が安定していない。脳内でホルモンの分泌がうまくいかずバランスが崩れています(わたしが聞いた大要です)」が流れていた。素人ながら、ホルモンのバランスが執れず、精神的にまいっている。つまり情報処理能力が落ちている、という現状のようなのだが、それと心の問題がどう絡んでいるのか判然としない。むしろ渾然という趣である。心が病んでいるといっているのか、精神的におかしいといっているのか、それは順逆どうのこうのなのか? この方も素人なのか?脳科学からすれば心とは精神なのか?     心と精神……     旧日本帝国陸軍には樫の木で作られた精神注入棒というのがあったそうです。     パースペクティブとしてはこんなとこだろうか。つまり、俳優に向かって「気力で何とかするしかないだろう」などという非論理性を吐かざるを得ないそこは、どこだというのか?それはどのような意味で非論理的なのか。そのとき論理性という精神作業は、三木成夫のいうこころにどのように爪あとを立てているのか、いないのか。……ということは問うことができるだろう。     たとえば、俳優は舞台の登場人物になりきらねばならない、とかいう戯言を聞いたりします。能舞台のように亡霊、モノノケ、幽霊、化け物、生霊、鬼だったらどうするのだろうとか、たまさかなりきったとしてその後はどうするのか、女形はどうなるのか? などと思わず半鐘を入れたくなります。歴史的にみたとしても、この物言いは言葉のアヤなどという高尚なものではないし、また仏師が一つの木塊に、仏の心を彫るといういう話に似るものでもありません。少々しつこく付け焼刃で申し訳ないが、「アルプス交響曲」などで知られるリヒャルト・シュトラウスのその創作意欲がドイツ最高峰のツークシュピッツエ山頂を征服したのだ、などということとはまったく意を異にする。それは良くいえばリアリズム観に対する、日本の社会主義リアリズム演劇観からの論難なのでしょうが、そうその出自を理解したとしても、亜種としてのリアリズム演技観となるといただけません。     いくらなんでも、やはり紙数には限りがありますので、すべてをわたしに回収したとすれば、この「なりきらねばならない」は、ついには五臓六腑のリズムを自身に重ねる、それを根拠にする、ということになります。換言すれば、それは呼吸という身体のリズムの問題であり、すべからく事はこちら側にあります。先走りますが、それは演技とはと問うとき、それを精神性、論理性、思想性、身体性等の個々に分断しないということを意味します。     ここでようやく実存主義的な肉体という言葉を持ち出すことができるはずです。しかし、この肉体は下部構造だとする曲解を許容します。演技は下部構造に規定された弁証法的な上部構造に属する作業ではないのですから、当然、この肉体は身体という言葉に置き換えられることになったはずです。     わたしはこのことを哲学史的な言語論的展開になぞらえてきました。演技とは認識論の問題ではなく言語論の問題であると。     さてさて、混乱を避けるためにこで筆を置きますが、さしずめ前期ヴィトゲンシュタインに習えば、このあたりのことを ゙演技としての言語論゛と名称したとして、それは「7 語りえぬものについては、沈黙せねばならない 」となるかもしれませんが、演劇的営為とは、どうしても「語りえぬものについてこそ、沈黙を破らねばならない」はずです。それが、わたしたちが揚言する ゙演技とは可能性を行為することである゛からに他ならないからです。     最後に、誤解を恐れず、稽古場で用いられる言葉に置き換えてみたいと思います。     行き詰まり、煮詰まった稽古場で「緊張感がないよ」であったり、「集中力がないだろう」であったり、最後には神頼みのように「根性で何とかしろ」となる元凶は、方法論のなさと作業仮説の資質を個的作業に求めてしまうからでしょう。それでも、このあたりに踏みとどまり、歩一歩を進めるには、解剖学的に心を解き明かそうとした、その三木成夫の体系性に、三木成夫の呼吸のリズム論を逆手にとって、静かに向き合うしかないように思われます。       【 注記 】 老婆心ながら、なんといいましょうか、断るまでもないのでしょうが、本拙文に登場する「お初さん」は、ここだけのはなしとさせていただきます。    【 未知座小劇場スタジオ・シェーマ 】     未知座小劇場スタジオ・シェーマは「nest」をお贈りします。     舞台はジャン ジュネ『女中たち』とアントン・チェーホフ『三人姉妹』と俳優たち等々によって構成されます。     ここでは「nest」を入れ子と見立てていますが、ベンローズの三角形よろしく視座する時空によって、条件分岐の出発が結果と成り果てるやも知れず、文字通り巣窟を見るやも知れません。     すでに、ネストをアナグラムと呼ぶべきかもしれません。     世界を描くなどというプラトン主義に目もくれず、衆目のとおり「演技とは……」へと歩を進めることにより、年老いて佐渡に渡った世阿弥に向き合うことができる、とするからに他なりません。                             (チラシ情宣文)               ;………………………………………………………………………………;               ;                              ;               ; 未知座小劇場スタジオ・シェーマ 2008 上演台本     ;               ; 『ネスト』                        ;               ;                              ;               ; 著 者・{ルビ やみくろみつ}闇黒光{/ルビ}       ;               ; 編 集・未知座小劇場                   ;               ; 発 行・大阪演劇情報センター               ;               ; 発行所・(株)オフィスゼット                ;               ; 住 所・〒581-0816 大阪府八尾市佐堂町二丁目二の十七    ;               ; 発行日・二〇〇八年二月九日・初 版            ;               ; 頒 価・一五〇〇円                    ;               ; URL・http://未知座小劇場.jp/              ;               ;                              ;               ;………………………………………………………………………………;