上記会議は、筆者の独断的な集約となりますが、概略以下のようにまとめました。
  1. 「ラフレシア」と名付けられたテントを使っての公演。
  2. 企画意図と方針はない。
  3. ポイントは各自の参集する思いを結集することのロマン
わたしは、これらの想いの前では、ただ立ちとどまり、佇むことしかできませんが、ことが招請である以上黙視できず、この企画書を起こすこととしました。わたしたち未知座小劇場は表現に携わるものとして、招請という「言葉」をそのようにとらえています。
さてこうして招請に対して、このように企画書を世話人会に提出しようとしています。企画書を提出することの違和感はあるでしょうが、ようは、未知座小劇場がその力量などにより、世話人会の想いや、また基本方針を計れなかった以上、わたしたちの考えを提出し、判断を仰ぐということで、現実的な対話や具体性を導き出したいということになります。まずは相対性の枠組みを抜け出せないということにもなりますが、とりあえず転がることはできるとします。
以上が、この企画書を提出する意味と意図です。
さて、あらかじめ次の「企画意図」を綴る前にお断りしておきたいのは、わたしたちの立場は招請を受けた側という位置を抜け出ないだろう、ということです。つまり、積極的な意味で、主体として演劇祭を仮想することに未だに意味を見いだし得ないでいる。なぜかは次の「企画意図」に譲りますが、そのような立場からの可能性と展望を夢想するしかできない。つまりこの企画書を綴る筆者の位置は、当たり前だが世話人会の立場ににじり寄ることをせず、それをあえて囲い込み、ありえる可能性を、わたしの位置から診ることにこだわります。そのように論をすすめます。
この位置を黙許願い、かつお読みいただければ幸いです。

3.「企画意図」

ここでいう企画意図は、未知座小劇場が演劇祭に参加することを模索するための企画意図となります。わたしたちの公演の企画意図は後述します。
一般論から入りたい。
公式めいて恐縮しますが、わたしはあるプランニングが立ち上がろうとするとき、マニフェストや基本方針がどのように政治的に語られるかが説得力だ、と思う者の一人です。この説得力が論理を導く。それは思い込みの強固さであったり、語り口という文体であったりする、と考えます。
すべてが論理で始まるとなど毛頭思っていないのですが、さて「いかにしてテントによる演劇祭は可能か?」。可能でないということは容易い。わたしの立場からすれば、これは大変容易なことです。
それはいってしまえば、テントとは単なる貸し小屋でないのだから……
「テントとは単なる貸し小屋でないのだから」と決めつける語り口は、お読みいただくみなさんとは何ら概念共有がないのでやはりまずい。で、つまり、無前提に思いをこめることのできる状況があり、身体として構築することが可能性としてあることに、まずその意味はあるということになるでしょうか。そのテントという器は、わたしの意志として仮想しうるということになります。
すべてを面倒みうるということであり、表現にこだわるわたし自身のこだわりをわたし自身の責任性として処理しうるということで、わたしはわたしであることができるということがいえます。それは表現の場の私有化であり、私権化でしょうが、ここではそれをテントと呼ぶことでいかがでしょうか。そうすることで、いってしまえば、テントとは単なる貸し小屋でないのだから、よりわたしにちかづき、ついに解き放たれようとする。つまりわたしの可能性としてある。言葉をかえればわたしは希望を持ってテントと添い寝が出来る。
これをわたしたちは物語と呼ぶのですが、それはまだいい。さらに、幻想としてのテントという言葉も想起しないで頂きたい。この段階では、まだテントは肯定されるしかありません。
すると、役者たらんとする身体は、テントを演技する身体の皮膜ともとらえうる。
ここではまだ、能役者にとっての三間四方の能舞台に近い、といえます。
つまりテントを演技レベルで語れば、わたしの演技は一般性としてありえないということと重なります。この場での、この磁場での、未知座小劇場の呼ぶ「力場」での、一つの開花のありざまなのだ、ということになります。このほか、多くの語り口は可能でしょうが、つまり、やはりついにいずれのテントも手あかにまみれているということになります。無機質ではない。個別的であり、集団的であり、方法的である。歴史的でさえある。それをわたしは個別身体的であると呼びます。ラフレシアというテントもまた、そのような身体性に裏打ちされた、仮設なのだと思っています。誤解を恐れずいえば演技論そのものだといっていいはずです。物理的な時間がそこに蓄積されて、ラフレシアというテントは今そこにあった、そして今日ある。少なくともわたしたち未知座小劇場にとって「ラフレシア」は一般論ではありえません。
小屋はそうではないのか?
同じだと思います。置換し得ぬ一回性として、そうある。だが、個別的ではないでしょう。
本質論になるしかありませんが、未知座小劇場がラフレシアを立てることの意味は、あらゆる逆説を行使したとしてもないのです。未知座小劇場は未知座小劇場のテントを立てることこそ意味があるのですが、だが、これはこの企画書を用意するわたしが決め込んだ禁じ手であるとしました。禁じ手であるがゆえ、すでに命題になっています。
遠回しにいうのはやめ、違う語り口をしたいと思います。
無前提に集うことに意味はあるのか?もちろん無前提ということは大きな価値です。ですが、ここでのポイントは集うこと。
集わないのは、違うからであり、方法論が違うからであり、演技論が違うからであり、表現論が違うからだというしかありません。論理を同じく何かができないから、個別であり、多くの劇団があり、様々な舞台があり、その差異化は持続しえていると考えます。やはり一つの舞台への批評性はもう一つの舞台によるしかないのでしょう。舞台とはきっと方法的であるしかないということでしょうか。その作業を一つのテントでしなければならない前提はたぶん、分かり切ったことですがどこにもないはずです。
しかし、だからそれを選択するということは、必ず行為の方法化を意味するはずです。

さらにさて、表現という価値を機軸に集うことは可能か?表現の可能性の幅は新たに切り開かれるか?また、相対的によりよい観客になることができれば、ことは済むのだろうか?
今朝ほどテレビをみていましたら、国際空港で俳優たちがイタリアの映画祭に出かける風景が映し出されていました。映画祭……。この映画祭自体が、企む側には一つに表現なのか?映画という表現の価値を切り取る。それを評価し権威づける。それが映画祭という表現?そして商品。
さて、「ラフレシア」と名付けられたテントを使っての公演は、選んで、選ばれて集まるわけではない、ということでした。
それでも、テントによる演劇祭は可能か?
積極的な戦略として何もないとうそぶくことは、戦術たりうるか?もちろんわたしにとってうそぶくことは無前提に価値です。だからこのように自問することができます。いま状況の中で、丸まま状況であることは表現たりうるか。究極、何もしないことは、いま過激でありラジカルか。
ここまできて、命題の導くところ、わたしは上記で仮設した思惑や考えを覆したいと思います。それが、この企画書を書き、提出する大きな一つの意味でした。
上記の論をまとめると、ロマン・ロランの『民衆劇論』の中の一説に、やはりたどり着きます。わたしの記憶が正しければ、
脚色しすぎかもしれません。場所論としては十分だろうと思います。
もうほとんど自身のこだわりになっていますが、これらをすべて次のように覆すのだ、というのがわたしの位置であり、未知座小劇場が獲得した物語論の地平です。
さて、ここでわたしは、画家カンジンスキーの「コンポジション7」を持ち出すことで、速やかにこれらを乗り切りたいと思います。「コンポジション7」は抽象絵画と呼ばれていますが、門外漢のわたしはなにもいうことはないのですが、ただこの「コンポジション7」のそれぞれのプロットが三年あまりの歳月によって論理化され、1911年、三日間で書き上げられたということは知っている者です。「コンポジション」は11まで描かれました。
いまわたしはこのように問おうとしています。わたしは、そして未知座小劇場は「コンポジション7」という世界を構築するための、一つのプロットたりうるか。
飛躍させていただきますが、情報を物語化するためのプロットたりうるか。
こうして未知座小劇場が夢想する、ありうるならある演劇祭の名称は「コンポジション12」となります。

 

4.[ テントはいかにして可能か ]

わたしたちのテントの位置づけです。
世話人会の方々の唯一の決定事項は演劇祭をテントでやる、ということでした。
さて……
歴史的な語り口になりますが、テントとは表現に先立って場の問題であったと思っています。翻って表現を制約し、制約があるからこそ、テントは表現の地平で、表現そのものとして語られることになりました。このように総括めくと、異論があまた噴出するのを承知で続けます。
テントが表現を装うことができた、ということにもなります。これはテントがそこにあり続けないということと、本質的に切り結びます。実体はあり続けない舞台なのですが。
もうほとんど未知座小劇場の物語論を語っていいます。
このままでは失礼なので、またわたしたちの物語論を開陳する余裕もないので概括します。
表現がテントを背負うのではなく、テントが表現を装う。表現がテントを模索するのではなくテントが物語となる。すでにここで物語は情報ではありませんでした。ポスト構造主義的に綴れば、あらかじめ物語が 情報でなかったことが告げられ、白日のもとにさらされたけだ、ということになるでしょうか。
飛躍になりますが一般化します。
物が方法的にアプローチされ道具となる。やがて道具は文化として自立する。そして表現にとって文化とは、ただ捨て去る価値しかないというのはいい過ぎでしょうか。新たなる発想と、わたしたちが現代的に問われている演劇的課題に耐えうる新たなる表現の幅を獲得するために。これが未知座小劇場の立場であり、演技論の鳥羽口です。
ここではテントの可能性を模索しなくてはならなかったのですが、ほとんど絶望的です。絶望的ではあるが、それを突き詰めてみることは可能です。すると必ず破綻する。破綻するから論であり、破綻の中に可能性がある、が……

「テントはいかにして可能か」をまず素直に、つまり「テントに可能性はあるか」と問うことはできるでしょうか?この問いに寄り添うのは「小屋に可能性はあるか」である、となるでしょうか。矮小化になり「小屋に可能性はあるか」などだれも問わないのでしょうか。あるいは問いが屹立しないとこに演劇状況と小屋の位置があるといってしまえばそれまででしょうか。
ではなぜ「テントに可能性はあるか」などと気恥ずかしい問いが残骸として、あるのか。少なくともわたしの周りにはあるということにします。
独断と偏見で言い切り文意を転がしますが「テントは小屋であり、劇場である」だけです。独断と偏見で ありながら、一般論としても異論はないとおもわれます。それでもなおかつ「テントに可能性はあるか」はあり、「小屋に可能性はあるか」はない。
これはほとんど、幻想(=物語)としてかたづけ「表現の導くとこいずこなりともおこうではないか」と与太をとばせば事は済みそうですが、捨て去るにはそうもいきません。
一つだけ罠があります。小屋とテントをイクオールしながら、相対化しています。すでにテントの不遜が潜んでいます。これが物語の本質です。
残念ながら、わたしはどのように糊塗しようと、今、テントの可能性を語ることができません。つまり物語の可能性を語ることができない。

5.[ 『 $i=drama(“大阪物語 ”); 』公演企画意図  ]

可能性を語るために、可能性を語らないでいいという逆説めいた方法を採用しました。
これは苦肉の策であるばかりでなく、素人がするプログラム言語めいた語り口になることをお許しください。
$i=drama(“ 大阪物語 “);文を内部文章では、以下のように自己解説しました。

『次回公演上演台本のタイトルである。少々きな臭いがマジである。思いは、大阪物語を引数(ひきすう)に、関数dramaを呼び出し、変数$iに代入する。こうなると思いこみ以外のなにものでもない。なぜなら、いまわたしは関数drama()を説明できない。抽象的にいえば、drama()は、これまで相対化しようと試みてきた、物語論である。これが関数であるということは、まずはブラックボックスであると前提するということになる。戻り値をすぐさま変数$iに代入することで説明、あるいは解析する必要がない、理解しないでいいということだ。
引数である「大阪物語」は当然、小津安二郎の「東京物語」を想定し、射程する。映画に関しては門外漢のわたしだが、小津安二郎の「東京物語」は優れて物語であるか、あるいは最も物語らしからぬ物語であるかは、ベッケットの「ゴドーを待ちながら」のそれに通じる。二者択一を迫る必要はない。なぜなら、関数が結果を返すからだ。そもそもいずれにしろ物語なのだ。さらにこの場合、関数drama()では物語はイレコである。
これらがどのような実体であるか、内容であるか、だれも分からないのだ。それが変数$iである。
こうして$i=drama(“ 大阪物語”);は一つの式であることができる。
「情報とは物語のことである。物語の最高形態は天皇制である」のマニフェストを逆にたどりながら、情報の前で、この式を紡いでみることはできた。これがこの一年のわたしである。
さて、これは新たなる発想たりうるか?あるいはドラマツルギーを、わずかでも転がすことができるか?さらにまた、文体の変容は可能か?それはまず、$i=drama(“大阪物語”);に続く論理式や条件式で、原稿用紙の升目を一字一字埋めるように、tureとfalseを渡り歩くしかないのである。』

大見得をきるなら、ここで綴ってきたすべてを変数$Iに代入しようというわけです。物語相対化の亜流になれば幸いであるが、ごまかしといえばいえなくありません。ただいえることは、すべてのこたえは舞台がだす、ということだけになります。
未知座小劇場がささやかにおこなう企画意図として……

(2002.09 文責・闇 黒光)




演劇祭参加辞退書 ラフレシア演劇祭 世話人会 様へ


ラフレシア演劇祭 世話人会 様へ

未知座小劇場では、前回の会議でのみなさんの意見を持ち帰り考える、ということをお願いしておりました。
わたしたちが提出した「企画書」へ対する、考えや意見などを検討しました結果、以下のように決まりましたので報告します。

  1. 演劇祭への参加を辞退します。
  2. これは未知座小劇場の力量のなさに起因するものであり、ひいては会議に出席した闇黒光の論理化作業を行う力量の問題であり、展望を模索する位置付けの脆弱性にあります。これが問題のすべてです。
  3. 表現において論理以外に依拠しない未知座小劇場は、今後もまたそうでありますが、この事態を重く受けとめるとともに、自らの舞台の表現の問題として位置付け、結果を真摯に、観客の前にかえしていきたいと思います。
  4. 言葉足らずですが、以上を報告します。
  5. なお、このような書面でなく、面接での開陳要請には準備がありますので、申し添えておきたいと思います。


2002.11.03  未知座小劇場  闇 黒光 から


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