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闇黒光演劇論集 2005年代

    1. 演技について(2005.02.06)
    2. 演技について 〜無観客試合と演劇〜(2005.06.10)
    3. あとがき(2005.08.20)
    4. 演技について  『大阪物語』とカンディンスキーの三日(2005.11.23)
    5. 『大阪物語』のアンケート(2006.10.30)

演技について (2005.02.06)


      ここに記載する文は「第三回近畿大学芸術フェスティバル KARAFES」の求めに応じて執筆されました。 同フェスティバルのサイトはここです。(2005.02.23 大阪演劇情報センター)

演技について

演劇的な「場」が立ち上がるには、広場にいき「花で飾った一本の杭を立て、観衆を集める」ことで、まずはいいように思われる。で、かの大知識人はその『民衆劇論』のなかで「すると祭りが始まる」とつづける。さて、ここでいうテントが、この「花で飾った一本の杭」であれば、このはなしは終わりである。
であるなら、だからといって、もちろんここで、祝祭のはなしにするつもりはない。また「花で飾った一本の杭」と「祝祭」のせめぎ合いを想い描くものでもない。老婆心ながら「花で飾った一本の杭」を役者たらんとする身体に重ね合わせてもいない。つまりは、わたしがいうテントはこれらのせめぎあいの中で、もう一つの位置を求めているに過ぎない。換言すれば、わたしによって「一本の杭」は、常についに抜かれなければならない。と同時に、新たなる広場にまた杭は打たれ、やがて抜かれる。
再度お断りしたいが、抜く作業を「旅」や「移動」であったり「悪所論」に重ねてはいない。
結論から言っておこう。祝祭を消去し、旅を移動を、悪所を消去するとき、そこでテントが演劇であったことはなく、またこれからも演劇であることはない。すぐれてテントとは小屋の別名であり、置換しえぬ演技の方法論である、ということである。
しかしである。炎天下の肉体的な仮説作業は、必ず、ノドごしの生ビールの美味をもたらす。これは戦術的に有効な演技論なのだが、さてさて素直に吐露するなら、わたしには肉体的な壁が大きく立ちはだかる。すなわちこの「リンゴ」神話は、年齢的に有効でなくなったのが近況だ。
物語を廃し、演技の方法としてのテントが論としてではなく、事実が差し向ける仮設としてある。初めて十二分に十分である。

文責・未知座小劇場・闇 黒光        


[ 略歴 ] 
1972年2月 未知座小劇場設立
1983年3月 ソシュールにであう
1994年4月 ヴィトゲンシュタインにであう
2005年5月 カンディンスキーにであう
2005年12月 未知座小劇場版「コンポジションVII」を上演予定。39作目の新作を準備中


演技について 〜無観客試合と演劇〜(2005.02.06)


      この文は、闇黒光/編集後記に発表されたものである。 Blog|闇黒光/編集後記へはここです。(2005.12.15 大阪演劇情報センター)


    1 「観客試合しあい」と「無観客試合むしあい」

演劇公演の舞台を、テレビ録画などで観ることがある。多くは『劇場への招待』とかいった番組なのだが、そこでは舞台を観るという感覚を捨て去ることを思う。これらの番組の多くは、当然のことではあるが、ある企画と意図によって、任意の部分が選択され、切り取られて、編集されたものである。この無観客試合は、それはそれである。
今ひとつの無観客試合を、テレビで観戦。タイで行われたW杯アジア予選、日本×北朝鮮戦のテレビ中継なのだが、この私の観戦という位置は、国際サッカー連盟(FIFA)によるのだろけども、無観客試合なので、いくらテレビで観戦していても、やはり私は観客ではないことになる。この事態からすると、観客とは試合会場にいる観衆のことになる。語の意味を予断すると、試合を衆目にさらさないことが、無観客試合と思われるが、背に腹は変えられず、あるいは、中継契約を解約できなかったのかも知れない。北朝鮮での試合チケットを予約していた人たちは、キャンセルの憂き目を見たのか。ともあれ、テレビの前で、ライブ中継がフレームで切り取られた全体であったとしても、私は観衆であった。
私は、といいながらもこの事態の経緯を、何もわかっていない。そして知らない。第三国で行うのは、ホームでやるはずだった、北朝鮮への制裁なのか。同時に、試合終了後の選手たちが危害が加えられるかもしれない事態を、それは「北朝鮮での観客暴徒化を理由に、ワールドカップ(W杯)アジア最終予選の日本×北朝鮮戦を第三国、無観客で開催するとした処分」であるなら、北朝鮮の観客に対するペナルティのツケを北朝鮮サッカー側が被ったのか。さらに、であるなら日本サッカー協会と、当日、サッカー場で観戦しようと予定していた人々が、割をくったということになる。ではこのような事態を招聘したFIFAは、どのような自己責任処分を自身に課したのか? 処分を断行することがそうなのか。
まあ、いってしまえば、これらのことはどうでもいいことだ。私が引っかかったことは、無観客試合という言葉の形容矛盾だ。この言葉の成立する前提は、試合という概念に、観客が含まれているからにほかならない。それは「観客試合」という言葉がないほどにである。にもかかわらず、無観客という形態で、試合を形容する。つまり試合でないものを試合といってしまう、自己矛盾がこの形容矛盾の本質だ。語の正意から行けば、無観客試合という言葉は成立しないのであり、仮にそのような形態があったとしても、すでにそれは試合ではない、ということである。多分、試合という言葉か、観客という言葉が曖昧であるのか、概念そのものをずらさざるをえない状況にわれわれはいるのだろう。


    2 観客と試合と

さてお断りしたいが、私はここで観客論を開陳しようとしているのではない。観客という言葉を整理しようとしているに過ぎない。したがって、次のように「無観客試合」を整理したとしても、ここで綴ろうとすることは残る。
国際サッカー連盟(FIFA)の規律委員会の決定は、再びの事態を避けることであり、それは日本人選手と日本から訪れるであろう観客らへの安全性の配慮、つまりはW杯アジア予選での不慮の事故に対する配慮等なのだろうが、結果、これをなぜ「無観客試合」と表現するのか、ということになる。

閑話休題。どうも持ち場が違うところに迷い込みそうである。私は、スポーツ選手でも、スポーツイベント屋でもない。ましてや、武道を志すものでもない。舞台表現を志すものであり、その思想性が、抜き差しならぬものであるなら、それを由とするものです。いわば、単なる門外漢である。そこで「観客」という言葉を手がかりに、見えないものを、この際見ておこうとするには、徒手空拳で進みすぎるように思われる。
実は、この私の発言には経過がある。
かつてJリーグが発足間もないころ、あるクラブチームが破綻するなどし、観客動員が落ち込んだ時期があった。このとき当時のチェアマンであった川淵某が、正確ではないが「選手はがんばってもっといい試合をしないとだめだ……」とのインタビューコメントがテレビニュースで流れていたのを記憶する。この発言を舞台に置き換えてみよう。

    「面白い舞台であれば客は入る」

これは間違いではなく、正解だ。だが、何もいっていないに等しい。「面白い舞台であれば客は入る」とは、それはそれで当たり前のことであり、だからといって無制限に観客数が増加するのではないからだ。「いい」や「面白い」は、ある価値観の表出である。ついには個的な嗜好だ。個的な嗜好が情報として力を持つには、生活圏を離れてはない。私が言うまでもないが、この個的な嗜好が生活圏を離れ、つまり幻影化するには、マスという媒体や、メディアが必要だろう。したがって「面白い舞台であれば客は入る」という物言いは、生活圏での話しであり、ここにマスコミュニケーションの浸透度により、その生活圏は広がるのであろうが、やはり、口コミという交通形態を逸脱しない。
だからこうも言うことができる。個的な嗜好が生活圏を離れ、つまり幻影化することによって、個的な嗜好が操作可能となるなら、

    「面白くない舞台でも客は入る」

これは論理的帰結となる。また、それが継続するかどうかは別問題で、本質論とは別に、イベント屋の力量と、ビジネスモデルに帰結するだろう。
すでにお分かりのように「選手はがんばってもっといい試合をしないとだめだ……」とは、川淵某の無責任な、責任放棄の発言に他ならない。それが、現場への叱咤激励の発言だったとしても、事態の起因を選手たちに求め、責任回避を図ったとなるほかない。百歩譲ったとして、ではチェアーマンとは何者なのだ。
現場経験もないので、選手という言葉を持ち出すのはやめよう。つまり俳優は舞台で、いい舞台をしよう、面白い演技をしよう、あるいはダメにしようなどという、そのような即時性を展開するのみの余裕はありません。やらなければいけないことは、そんなことをうっちゃり、通り抜けて山ほどある。
さて、この論理破綻を回避したものを日韓共催W杯だということができるのだろうか。定かではないが、私にはそのように見える。これをだれが支えたのか私にはわからない。また位置づける立場にない。それでもこうして今、私は「無観客試合」という言葉に向き合っている。
出発は「観客」と「試合」という言葉が並列する違和から、無観客試合という言葉は形容矛盾だだとする想いから出発している。私の力量で、ここでスポーツの何たるか、試合の語源等を紐解き、この私の違和に迫ることはできない。舞台とうい作業場に足を置き、生活感覚を押し開くことだけだ。
さて、スポーツと試合はいつのころから手を取り合ったのだろうか。近代日本の国威高揚として西洋式肉体強化術云々となると、稿数がいくらあっても足らない。違う語り口をしよう。
私は試合という言葉を、どこまでたどることができるのか。果し合い状。宮本武蔵。決闘。どうやらこのあたりだ。死合い、間合いを試す、死を合わせる。こういうイメージが成立してくる。仮に、何の根拠もなく、武道の世界では命のやり取りを試合という、と言えば、私の語感に重なる。そうであるのかどうかは別として、つまり試合という語含意は個的なのだ。決闘は1対多でもイメージできる。これが集団的になると合戦となる。さてあたかも、試合が死合いに重なるとしているが、そうではない。天覧試合、御前試合などとなるとすべては死合いに重ならない。ここで一貫しているのは勝負ということである。それは死合いを含んで、生き死にの問題であったのだろうということだ。これが私の位置づけである。
さて、命をやり取りする試合に、われわれはどのように加担することができるのだろうか。多分、その事態に立ちすくむしかないだろう。これは野次馬ということだ。野次馬以外には立会人がありえる。また、助太刀人もありえる。こうなると、観客の出自は、試合に対した立会人なのだろうか、助太刀人、野次馬なのか?
たしか、黒澤明の姿三四郎と試合をした月形龍之介たちは、吹きすさぶ未明の荒野で絵になっていたように……記憶の彼方です。
命のやり取りを語り継ぐようにあった立会人は、審判になったように思われる。助太刀人が観客だ。野次馬はついに野次馬で、第三者で責任の埒外だ。もうほとんど私の悪意はaudienceはaudaciousやaudioに通じる。
ここで、やっとサポータという言葉にたどり着いたことになるが、この言葉はいまだになじめない。私の直訳ではサポータは助太刀人だ。ましてやサポータは十二人目の選手といわれると、観客たろうとしている私は困ってしまわざるをえない。
甲子園球場には観客もサポータもいない。阪神ファンがいるだけだ。
ともあれ、日本式の命のやり取りの試合から、死合を抜き去った、仕合をスポーツに重ねることで試合はゲームになった。そこでやり取りされるのは勝負だ。これがとりあえず整理して差し出すことのできる私の独断と偏見だ。
さてもう一つ、古代ローマの円形劇場には剣闘士がいた。これは娯楽性の高い見世物だが、元は葬儀であったとものの本にはある。そこには市民という観客がいる。儀式だ。勧進角力も神社や仏閣で行われた儀式だ。大衆という観客がいる。最後にギリシャ悲劇にはコロスが登場する。コロスは「舞台と観客との間の媒介者」としている。
試合という言葉にこだわりながら、観客というイメージをすくい上げようとすると、このように多義にわたる。ここで言う野次馬からコロスまでに共通する立場は、当事者ではないということである。
さてさて、ここまでの無理に無理を重ねた、論拠も示さない独断と偏見は当然のように行き詰るわけで、次のように命題らしきものを掲げ、文意を運ぶことにしよう。
サポータはどこに行ったのか?
日本×北朝鮮戦のテレビ中継画面から、こぼれ聞こえる太鼓と応援コールの中にいたのか。いや、あれこそ感動的にも、任意の第三者たらんことを選択したにもかかわらず、拒絶された観客と呼ばれたはずの一群ではなかったのか。どう考えてみても、FIFAが無観客試合ということで、ゲートの外に押しやったのは、あの一群であったと思われる。だが、テレビ中継中のアナウンサーや、解説者、あるいはサッカー関係者の発言を総合すると、彼らはサポーターに変身したり、また観客になったりしてしまうのだ。ついには「日本全国のテレビで応援していただいたサポーターのみなさん」まで登場する。
ここまでくるとわけがわからず、納得するにはサポーター=観客と理解するしかない。しかしこれは「無観客試合」ではなかったのか。
するとFIFAは「無観客試合」ということで、押しやったものとは、何なのか?
ほとんどもう、何かを押しやるように装うことで保障したのは、FIFAの権威だけだ、などと与太を飛ばしたくなる。
もちろんこんなことを綴るために、文意を運んでいるわけではない。しかし一つだけ言っておきたい事は「サポーター=観客は十二人目の選手だ」という、あたかも本質に迫るかのようなメッセージは、なんら内実を持っていなかったということである。つまり日本サッカー協会は「十二人目の選手」がいない試合などありえない、とはしなかった。選手のいない試合などありえないにもかかわらず、である。あたかも本質に迫るかのようなメッセージを保障するためのポーズすらしなかったのではないか。その証左に、重ねて不思議であったのは、誰もが「無観客試合」など試合ではないという意思が組織された、と思わないではないか。ここまでくると、FIFAの「無観客試合」を素直に受け入れたというのではなく、サポータと呼ばれる側にサポータはいなかったといわざるを得ない。するとサポータとはクラブチームを、無償で真摯に支えようとする、ファンたちのことだと、これまた言わざるを得なくなる。
この事態を、語彙や形態を含めて混乱しているというのは容易い。そのようにあるなら、やがて整理されるだろうとなるからだ。リアリストを装えば、整理されるなら、とっくの昔に整理されているはずだ、となる。つまり、このあたかも一見混乱と見える現状こそ、整理されているのだ。この仮設が私の違和と結びつく。違和であるから合理的ではないとならないから、ややこしい。
つまり、そもそもは「無観客試合」という言葉を発したとたん、観客という概念を含意しなかった「試合」という言葉に、観客がへばりついてしまうのだ。「無観客試合」という言葉がそれほどの力を持っているというのではない。むしろ「試合」という概念が、そのとき捻じ曲げられたことによるのだ。それは「試合」という文化が照らし出されたというほうが正解であろう。つまり、本来的には「試合」という概念に、「観客」という概念が含意されなかったのにもかかわらず、現代の私たちの想いが、「試合」という言葉に「観客」を預けてしまわざるを得ないねじれからくる、歪みの磁場が、一瞬、見通しのいい荒野に連れ出されたのである。もちろん、語源としてここで言う意味で「試合」があったのかどうかではなく、現代のわたしたちにとっての「試合」の語源がそう捏造されているということである。
さて、ここまで「試合」という言葉への思い入れを持つと、FIFAはこれにどのような言葉を使ったのかが、気になってきた。The Japan Times OnlineのThe Associated Press(AP通信)によると「with no spectators」という文字が見える。ここでは「観客」に「audience」ではなく「spectators」を使っていることがわかる。 この状態をFIFAは「behind closed doors」(非公開ということだろう)という言葉を用いている。これらはインターネット上の検索サイトで調べたもので、FIFAのオフィシャルサイトを覗いたりもしたが、規約委員会の公式文章に直接あたったのではないことをお断りしておきたい。ちなみに、ニュース記事では「試合」という語に「match」や「game」が当てられている。さらにお断りしたいがFIFAの公用語が英語かどうかも調べてはいない。これは余談になるが「spectators」の近似値として「specter」に目がいくこととなった。


    3 真剣勝負

ようやく表現の鳥羽口に立つことができた、といえるが、やはり次に移る前に「試合」に対して決めうちを綴っておくしかないようである。
私たちは現在生活の中で「真剣勝負」という言葉を持っている。気軽に使ったりもする。私の個的な言語観から行くと、いつのころ捏造されたのであろうか、と考えてしまう。このトートロジーは何を意味するのか。この拙文の脈絡から行くなら、勝負とは元来真剣で行うのであり、この勝ち負けを死合いに重ねるものを試合とした。そう位置づけることで、ここで言う「無観客試合」を理解しようとしたのだ。繰り返すことになるが、試合でやり取りする勝負は真剣でこそ決着する、とするなら、なぜその試合を、駄目押しするように「真剣」と念押しせざるを得ないのか。それは「試合」が「試合」でなくなり、かつての「試合」に対する追憶と記憶が忘却の彼方から「真剣」という言葉を呼び寄せるのだ。不謹慎にもソシュール風に言えばランガージュの再配列が行われたのである。関係構造からいえば交通形態の変容なのだが、さてこれはわれわれ精神の、自然成長過程として変容したのであろうか?
別稿を起こさねばならぬ領域に突入することは避け、誤解を恐れず言い放つが、これでは『龍馬はいかない』であろう。私たちのが引き受けてある近代は、いくつかの世界大戦を持ってきたではないか。同時に連合赤軍「事件」はある。つまり、先日の、三年一組の教室に投げ込まれた、火薬入りの瓶を、どう演劇的に解決できるのかということである。残念ながら、われわれの演技論は、その爆発の前で佇んでいる。そして明確にいえるのは、火薬入りの瓶の対極にあるものが「無観客試合」という概念である。
「試合」から「無観客試合」への推移は、「勝負」から「真剣勝負」への変容性に重なる。この、「勝負」から「真剣勝負」への変容性の中にあるのは、われわれが引き受けてある近代、これらを上記のようにイデオロギー(=ドクサ)としてマニフェストするのはそう意味あることとは思わない。それはまた、換言して「勝負」から「真剣勝負」への推移が、文化成長過程として、われわれの持つ攻撃性や、テロリズムの非生産性を官許の元に去勢するという経済性のみで置き換えられたものだ、と言い放っても同時に意味がない。つまり「勝負」から「真剣勝負」への推移を歴史成長過程と位置づけしまう仮設は、「投げ込まれた、火薬入りの瓶」としてあるこの今を、無批判に追認するだけのこと以外ではないからである。
さて、これらはそうあるという前提である。話しを進めるには、これらのカテゴリーに対し身体を置くという作業である。当然それは演技論である。この表現行為という視座  で「無観客試合」の「観客」を見ていくことにしよう。
まずは「観客」という言葉が、スポーツと呼ばれる現代的な語彙の中に、どのように閉じ込めれれているのかを、炙り出す事になるだろう。かといって、スポーツ原論があると仮設して舞台表現という物事を進めてきたわけではないので、そうせず、むしろ、表現における観客という観点から接近して荒書きすることが、ここでの道筋である。つまりまっとうにそうせざるを得ないのだ。
たとえば、あるテレビを見ているとき、スポーツ中継アナウンサーの「高橋尚子選手が、沿道の観客に向かって、手を振り声援にこたえています。まもなく四〇キロを過ぎます」という発声をしたとしよう。ここでの、このスポーツ中継アナウンサーは状況を、スポーツ、一人のマラソン選手、観客という絡みで紡いでいるわけだ。一人のマラソン選手が観客に対し、状況をマラソンしている。では、観客は誰に対しているのか、といった細部に踏み込む勇気はないが、スポーツ中継アナウンサーは、一人のマラソン選手がマラソン競技を行っている状況に、もう一つの何かを付加したのだ。スポーツ中継アナウンサーが沿道の観衆を観客と呼んだとき、一人のマラソン選手は、表現という属性を背負ったことになる。スポーツが表現に成り下がった瞬間である。つまりスポーツは何かに成り上がることもできないし、成り下がることもできないという意味でである。このマラソン競技がイベントとしてあったのかどうかということは関係ない。スポーツはスポーツであり、表現は表現である。
ここでの意図を明確にするために「スポーツは表現か?」と問うことにしよう。それは表現であると同時に表現でない。トートロジと逆説のオンパレードだが、それはこうだ。スポーツとは対他性においては競技であり、対自性においては表現である。では表現とは何か?

【 注記 】ここまでの「1」から「3」は、闇黒光の文責で、2005年06月10日に『Blog 大阪演劇情報センター/更新記録・編集後記 ODIC』に綴られたものである。参照URLは「http://info.odic.ne.jp/yam i/b_log/P_BLOG/」である。


    4 情報としての観客=演技論の地平

行きがかりとはいえ、思わず「表現とは何か? 」などと問いかけてしまったことに後悔しきりである。当然、これに真っ当に答え切る力量はない。
ならばこの拙文の出発と、自問の意図に還り、思いを絡みとるしかない。幸いなことにかどうかわからないが、右記の「3」から、この「4」へは意図的に、ほぼ一ヵ月の時間があった。書きなぐった思いは頓挫したことになってしまったので、その後思いも動く。これを整理することから始めよう。
所期の思いは、そう複雑なものではなかかった。仮に「無観客試合」という言葉が実体化してあったとして、そこで屹立するイメージへの違和とは何か?
これを整理することで、よしとする魂胆であった。だがさて、ことはそういうことだけではないようである。つまり「無観客試合」とは、様々な語り口はあるだろうが、この拙文でした、試合の形式を規定する用語ではなく、観客に纏わる概念の問題であるとせざるをえないのではないか、となる。ここに、思わず「表現とは何か? 」などと問いかけてしまう脈絡があった。これが整理の大枠である。
できれば、サッカーには「無観客試合」というゲネプロ(オペラなどでは、初日の前に、本番どおりに行う稽古のことをいう、とものの本にあります。演劇業界でもそうかもしれません。アリアリの稽古です。バックツアーなどで、見学の方は居るかもしれませんが、観客はいません。Generalprobe=ドイツ語)のような試合があるんだ、ということで通り過ぎたいのであった。しかし、これはFIFAの国際試合である。そこで「無観客試合」と宣言するのである。世界規模のイベントのなせる業であろうが、うがっていえば「ゲネプロは本番です」というのである。
このとき「はいそうですか」といえないのは、ここで問題をこう仮設するからに他ならない。ことはサッカーの問題ではない。「無観客試合」という言葉がありえたという、私たちの状況の問題であるだろうからだ。それが「無観客試合」という概念でもなく、またイメージでもなく、である。この言葉が状況として成立しえたということは、そのバックボーンがすでにあり、それが「無観客試合」という価値で成立することにより、物事の関係は変容したということを意味する。それはまた、表現行為が見定めることを余儀なくされる観客の在り処が、これまでとはずれてある、ということになるからである。
換言するなら、無名性のなかに観客がいるであろうと想定したゲネプロと、あらかじめ観客を拒否して、観客を想定することは、決定的に異なる行為である。
多分、演劇営為が、見る観られるという相対性の磁場から抜け出し、可能性としての関係性を行為する作業であるならば、必ずや見るという行為は、体験から経験に登りあがる作業として、舞台に上がり役者たらんとする俳優の前に、俳優の対自性を含んで起ち現れずにはおかない。これが無名性の中に観客を想起するということであり、結果、演劇営為は可能性の実態を私権化して、行為するという役者たらんとする身体のうえで、演技を捏造する方法へ至ろうとするものであるのなら、この観客の在り処のずれは、何をもたらすのであろうか。
私はいま、注釈をことさら加えず、未知座小劇場の演技論をマニフェストめいて語っているのは、その演技論を情報論として語るしかない逡巡からくる。端的にいえば、ここでいう「見る観られるという相対性の磁場」は、もう遠い昔の《昭和》という時代にあった物語としてではなく、あらためていうまでもないが、それは今日でいう情報としてあるからに他ならない。情報=物語についての何ほどかを語らねばならないのだろうが、このあたりの「情報と演技」に対する位置付けは、別途拙文として『情報と演技について』や『演技について』(http://info.odic.ne.jp/yam i/engekiron/ronsyu.php)があるので参照願えれば幸いである。文脈上概括するなら、行きはぐれてしまった「観客」や「物語」への望郷の眼差しを、別名としての「もう一つの物語」あるいは「ありえてしまった未来」に送るのではなく、あるいはまた「すべてを概括するかのようにあった、物言わぬように物言う日常」を嘯くように、凝視するのではなく、百花繚乱の情報論の海へ竿さし、それに耐えうる演技論を行為するを良とした。だが、いま演技論は情報論を装いわれわれの前にあるのだ、と揚言したのであった。
さて、この「4 情報としての観客」は前節の『表現行為という視座で「無観客試合」の「観客」を見ていく』ということから始めたが、思いの丈で強引に纏めているという感を免れ得ない。それは、素直に文章化することが出来ず、こう「纏める」ということでしか文意を運べない、私の現状を示してあるといえる。そうはならじとするなら、素描しようとしてきたイメージを提出し、この纏めに繋げておくことで、この拙文を終わることにしよう。


    5 卑弥呼の踵

舞台という形式をどこから想起するのか、ということにもなる。それは、どこまで時間のネジを巻き戻しておくのか、ということである。またそれは、削ぎ落とすことの出来るものはすべて削ぎ落とすという仮設である。この社会性を帯びた表現という鏡に「無観客試合」はどう映るのか。
もちろんこれはイメージの話しであり、その原初形態から前述した「無観客試合」を見ようとしてきた。ここでいうイメージというのは、ロマン・ロランの「花で飾った一本の杭」のようなものである。このロマン・ロランの「杭」は祭りの原初形態と読むのだが、さて舞台の原初形態は。
原始共産制。雨乞いが行われている。それは共同体の意思である。「薪くべ」が行われて炎が舞う。祭壇がある。その前で巫女は御託宣を求める。それらを前に人々は祈る。ここにいる巫女は、私の場合は「事鬼道 能惑衆」の卑弥呼である。やがて御託宣がおりる、それは御託宣がおりたと装うことかもしれない。ともあれ卑弥呼は踵をかえす。
胱がかえったこの瞬間こそ、世界史のなかで舞台が成立した瞬間である。これらはすべて儀式の一環であるかもしれないが、そのとき卑弥呼は、人々と萬神の間に割り入り、自身を物語ろうとしたのだ。祈る人々は、一瞬に観客に転換した。余談になるが、舞台にあがり役者足らんとする俳優の、この踵をかえすという様態は、何ものかを一瞬に異態に転換する行為のことである。人々はこれを演技というが、技とするにはおこがましい。ということで、できるなら、あらかじめ役者である能役者と言われる方々にお任せしたいのが、偽らざるところである。だからといって、舞台にあがり役者たらんとする俳優はアンドロマックよろしく「天におわす我らが大神様よ」というわけにはいかないのである。つまり、ここでの構図は、卑弥呼の前に観客はなく「無観客試合」がある。また観客の前には卑弥呼はおらず「無観客試合」がある。
この拙文で出発してあった「違和」は、卑弥呼の側からする「演技論」であると括ることができるだろう。また、観客の側からするそれは「情報論」であるしかないのだ。この二つは、ゆきはぐれてある。唐突に聞こえるかもしれないが、この拙文に隠された、舞台で行為することのリアリティーのなさや、物語の不可能性は、ここでも論証できるはずである。これらを前にして、逃げを撃つのは容易い。この「演技論」と「情報論」をまとめて情況論として語ればいいのである。もちろん逃げであっても、それが現代的な課題や思想的課題、あるいは演劇的課題に対し何らかの仮設を提示したものであれば、それは一つの営為であり、一つの可能性である。当たりをつけていえば、それでは現象学としての論にならないのである。このジレンマこそ『演技について  〜無観客試合と演劇〜』という拙文であるということは言をまたない。
繰り言になるまえに「無観客試合」にかえろう。であるが、これまたあるイメージになる。これを提出して終わりにしたい。
前述で、舞台の基点を卑弥呼の踵にもとめた。そこからの「無観客試合」のままでは、ついにそれは単なる総括に過ぎない。すでにお分かりのように「無観客試合」は総括の対象ではないのだ。それは課題であり、可能性である。そうであるなら、もう一つの視点が必要であった。仮に卑弥呼の踵が千年の向こうなら、千年のあちらが必要となる。来年のテント公演でも汲々しているのに、なんのホラだというのは請け合いだが、これは大向こう受けを狙った法螺なのでご勘弁願いたい。ここに「虚体」をおきたい。「虚体」といえば埴谷雄高の自同律の不快としての「虚体」であるが、自同律の和解としての「虚体」を本歌取りするのである。たとえば「わたしが蝶であるとするとき、わたしは蝶である」としての、自同律の和解としての「虚体」である。向こうとあちらの幅のなかで、こちらの「無観客試合」を、自同律の和解としての「虚体」から見定めることを試行する。もうことは「無観客試合」でなくなるのはいたしかたない。
やはり最後にお詫びするしかないようである。論拠や出典を示さないままの軽業師めいた展開は、当然蕣蹙をかう他ない。ただ、ここで綴ったのは論文でも演劇論でもない。それは、未知座小劇場がする現場からの報告である。この一点は、最後まで手放さなかったつもりである。この意味で黙許願えれば幸いである。
さてさてこのような中での、今回の公演『大阪物語』は、来年のテント公演を射程した、このいまの行為となっている。それは行きはぐれてしまった、テントという最も古典的な領域に視線を贈り、百花繚乱の情報論の海から、自殺行為にもにた綱渡りをしようという図であるから、もうこれは「あつは、ぷふい」というしかないのであった。
こうしてついに、この拙文も『大阪物語』で何らかの具体性を差し出すしかないというところにたどり着いたようである。一つの糧にと台本執筆中にもかかわらず「無観客試合」へ絡みとられてあるであろう情報論を見定めることを望み、この『演技について 〜無観客試合と演劇〜』を綴りはじめたのだが、その思いもまた、日々の稽古の中に切り刻むしかないようである。(2005.09.02 記)

  【 注記 編集・未知座小劇場 】『 演技について 〜無観客試合と演劇〜 』の「添付資料」への掲載にあたり、全体を各章に分け小見出しをつけた。初期の文にはこの小見出しはない。



あとがき (2005.02.06)


      この文は、未知座小劇場第38回拠点興業上演台本のあとがきである。(2005.12.15 大阪演劇情報センター)


    [  あとがき  ]


久しぶりに台本のこのスペースに文字を置くことになる。心情としては、久しぶりという感じはまったくない。何かが持続しているか、そう装うか、事実はまったく違うのか、今のところ定かではない。さし迫られてする整理にゆだねることにしたい。
さて、ご多分にもれす、この台本はパソコンのエディタで起こした。ワープロソフトを使わなくなって久しいが、縦書きのできるエディタになかなか出会えず、MacのエディタからWindowsの「秀丸」等々渡り歩き、今回はシェアーウエアの「QX」で仕上げた。縦書きのできるエディタはいくつかあったが、この「QX」が馴染んだということになった。また、目論見としては、音声入力で台本を仕上げる、というのも掲げたのだが、これは環境設定がままならず中途で挫折の憂き目をみてしまた。
これらはさておき、台本執筆にワープロソフトやエディタを利用するようになって困りつづけたことは、編集履歴が思うように残せないことであった。こまめに別版でバックアップを行えばいいのであるが、やはりついつい、保存は上書き保存となり、細部の編集履歴は残りにくい。つまりは、意思や、試行の経緯がみえないのである。これを何とかしたいということも、今回の目論見であった。
試行錯誤の結果、LinuxでCVS(バージョン管理システム)サーバをたて、WindowsからCVSクライアントアプリケーション・WinCVSで話をするという、台本のためのCVS環境構築をおこなった。これは見事に成果をみた。台本の各版は二百数十ほど版を重ね、これらのすべての変更編集比較を可能とした。
細部の報告はここでは割愛するが、大阪演劇情報センターでは、これらのシステムサーバ環境を、演劇関係者に無料で利用していただけるようにした。機会があり、希望であれば試していただくことは可能です。また、今回の私の台本書きをシュミレーションとするなら、本格利用の準備は整ったことになる。詳細はご連絡ください。
あとがきを借りて、二三報告しておきたい。
今回の企画『大阪物語』は、来年(2006年)のテント公演を明確に射程した一環として位置付けられている。ありていにいえば、この展開の中で、テント公演の展望が理論的にも人的、経済的にも出せるのかどうかということである。この経緯での『大阪物語』である。
また、この公演は『{ルビ かがり}鹿狩{/ルビ}{ルビ みちぞう}道三{/ルビ}追悼公演』と銘打っている。
鹿狩道三は新潟の演劇人であった。われわれ未知座小劇場のテント公演に数回の出演があた。無理をいって迷惑をかけたり、楽しく遊んだ。享年四十三歳、若くして逝った。昨年のことであった。
ここに居る私は『大阪物語』を書くということが、どう追悼たりうるのか、という枷をはめることとなった。これは、彼とともにわれわれが抱えていたであろう演劇的課題を、歩一歩進めることになるのだが、彼が独自に、その現場で抱えていたであろう演劇的課題を、となるとそれには自信がない。ただわれわれが、彼とともに幻視していたであろう演劇的課題に対し、幾ばくかの、今はまだ定かではない仮説を、提示できたのではないかとする。そのような少しばかりの自負を、やがて打ち砕かれることもあるだろうが、この文章を読んでいただいているあなたと、いまは亡き鹿狩道三に、静かに差し出そうと思う。
私事になるが、これはべつに奇をてらってのことではなく、ペンネームを「闇黒光」、演出名を「河野明」とした。この事態はすすでに「闇黒光」が成立した初期の意志に戻ったに過ぎない。それは「闇黒光」が個人のペンネームではなく、台本執筆者の表象であった、というのが経緯である。たまたま他の方が、使う機会がなかった、ということになってしまったのであった。思えば、この表象が想起されたのは三十数年前、埴谷雄高の『闇のなかの黒い馬』が出版され、近くの踏み切りで女子大生の投身自殺があった、その日のクラブハウスの情景は、今でも記憶のなかで明瞭である。
余談は幾多あるが、要は演出の責任性をこれまでと違った形で、明瞭化してみるということである。今後はこれでいくことにしました。
最後に、台本の原稿用紙の升目を埋めている最中に、左記の引用文を、関係者に送る事態になった。よりよく書いて送ることが出来なかった。制限字数が百二十字なのに千二百字と思い込んで書き始め、極端に縮小したりもした。この「あとがき」をかり、めめしくも今となって修正しようというわけである。左がその提出した文の引用である。正確には百二十字と千二百字の中間に位置したものである。


    『演技について』
        -- 大日本演劇大系『大阪物語』にそって --

演技について想うとき未知座小劇場では、物語について考えること、それは行為することのリアリティーへと通じる錯誤に思いをはせることになる、という縛りの中にあるが、これらの仮説はやはり架設であるので、ここ『大阪物語』では次のように命題化することにした。
無駄は演劇営為たりうるか?
言うまでもなく、ここには「無駄なことをしても意味がない」や、また「他にやることがあるではないか」といった思いが隠されている。これを近代主義的な発想として切り捨てることは容易いが、文化云々はさておき「演劇とは大いなる無駄である」ということはふまえるしかないであろう。
で、試行されるのは標準語の「関西語」化と、国歌の「レッツ・イッツビー」と「六甲おろし」の選択決定である。
こうして『大阪物語』の幕はあがる。
この文に立ち入ると、迷路にはまるので、違う「大日本演劇大系『大阪物語』にそって」をメモ風に書き留めることで補足としたい。
私はこれまでの自身の台本を、大鉈を振るってその世界をみると、ベケットの『ゴドーを待ちながら』のウラジミールとエストラゴンの世界に視線を置いたように思う、としよう。で、今回の『大阪物語』で初めて、ついに現れなかった、ゴドーの側に視点を置いたように思われる、としよう。
この文を綴りながらの、一般化の誘惑を受け入れてしまうが、つまりベケットの『ゴドーを待ちながら』の「ゴドー」を観念とすると、それは「希望」であったりまた「情報」等々であったりする。これは、作品論として、まあ置いておきたい。だが、『ゴドーを待ちながら』をマンガとりあえず「マンガ」と言っておきますとして読むと「ゴドーさん事故にあって間に合わなかったんだ」等々となる。これを類型化すると、

    �々圓�にいけなかったゴドーさん
    ��行く気のなかったゴドーさん
    ��自分をゴドーさんと思っていないゴドーさん

これらのいずれにも興味が尽きない。が、最悪は�い法屮Ε薀献漾璽襪肇┘好肇薀乾鵝廚�ゴドーさんと思っていないゴドーさん、という究極を、置く場合である。��までに止めておくのが幸せである。仮に�い鬟瓮咼Ε垢領悗澄▲押璽妊襪良坿袷汗�定理だといい始めると、もう収集がつかないのでいやになる。いやになるが、興味が尽きないのでこれまたいやになる。
『大阪物語』ではゴドーは大阪のおばちゃんとなった。十年前なら、まったく違った大阪のおばちゃんになっていただろう。いや、大阪のおばちゃんではなかった、というのが正確だろう。
もちろん、このように設定して台本の執筆をしたわけではない。最後の「幕」という字を置いた時点での事である。明日になれば、きっと様子も変わるというところでの話しである。そのようなことなので、ここでいう「大鉈」を「いいかげん」としていただくと幸いこのうえない。
で、この思いのブレをなんとかするために、以下の自身の文章を、資料として記載することで、ここでいう重ねての補足である「あとがき」を閉じたい。なお、この拙文も同じく、台本執筆中のものであった。
最後に、筆を置くまえに、少々、自嘲の感を免れ得ないと黙視してきた「コンポジション16」について若干。もちろん抽象絵画の祖といわれるカンジンスキーのコンポジションからの引用である。引用といえば実におこがましい。カンジンスキーのコンポジションという作品は、No,15まで書きつがれたとするなら、その、16が『大阪物語』であるとする、ほとんど身のほど知るための、ささやかな決意である。それはまた「大日本演劇大系」としてのマニフェストである。『大阪物語』をカンジンスキー論として展開できる日の来ることを、祈りつつ……(2005.08.20 記)





演技について  『大阪物語』とカンディンスキーの三日(2005.02.06)


      この文は、未知座小劇場第38回拠点興業当日、観客のみなさんに配布されたパンフレットに記載された。(2005.12.15 大阪演劇情報センター)


    演技について  『大阪物語』とカンディンスキーの三日

闇 黒光        



本日は、ご来場いただきありがとうございます。
この一行で、本文を閉じたい思いに偽りはない。『大阪物語』に触れるにはあまりにも、生々しい時点にいる。かといって『大阪物語』のパンフレットを余文で汚すわけにはいかない。何ヵ月かの立ち稽古によって積み重ねられてきたものに、その現場で向かい合って来た者として、やはりそれは心が痛む。俳優たちの練習でする身体の軋みの道程に見合う、何を、わたしは発酵させたのか。
ままよ。

本公演のサブタイトルは「コンポジション16」である。いわずもがなカンディンスキーである。
抽象絵画の祖といわれるカンディンスキー(1866〜1944年)にコンポジション7(1913年)という作品がある。この圧倒的な迫力で迫りくる絵画(2000�弌�3000��)には一つの逸話がある。出典は忘れたが、それは「構想三年の後、三日で仕上げた」というものだ。さて、この逸話をどう読むのか?
コンポジション7の前に立つと、この「三日」ということがコケオドシだということがわかるのはわたしだけではないであろう。その上でも、この「三日」を受け入れてみるには「構想三年」をどうイメージすればいいのか。
まずこの「構想三年」を論理構築の日々だったと憶測しよう。もちろん根拠はない。そのように仮設することで「三日」は究極可能となる、と台本執筆の経験上いえる。論理性を言霊に預けることで可能だ。しかしここで繰り広げられているのは「抽象」である。一般論からすれば具体の対極にあるものにほかならない。いわば、具体こそ論理であろう。さらにいうなら、構想という論理を、抽象化し全体とするのだ。しかし、台本の場合、一概にいっても仕方がないが、構想という論理を、具体化し全体とする。こうなると、単に「論理構築の日々」といったところでその内実がまったく違うのであろうと仮説するしかない。だが実はわたしは、このカンディンスキーの「構想という論理を、抽象化し全体とする」作業は、カンディンスキーの具体であると予断している。
さて、この仮説はわたしがカンディンスキーに接近する場合の、かろうじて手に入れている出発としての命題でしかない。具体性はなんら模索されていない。しかし一つの可能性を、現時点でする一つの可能性を『大阪物語』に預けることにするとどうなるのか。その夢想の結果は、やがて『大阪物語』が上演され、舞台上で行為されるか、あるいは行為されないか、ということになるのであろうが、いま初日を前に言及することはできない。ここでは、「構想という論理を、抽象化し全体する」ことはどういうことなのか、という整理を『大阪物語』を踏まえ、それにそって試みようとするだけである。あるいは、自身にその賭場口を指し示すことができるか。
素人がするカンディンスキーへの思いから離れるために、コンポジション7の製作年である一九一三年にふれよう。この年はフェルディナン・ド・ソシュール(1857〜1913年)が亡くなった年として記憶する。カンディンスキーのコンポジション7の構想が三年と受け売るなら、このカンディンスキーの構想の期間に、ソシュールはスイスのジュネーブ大学で数人の聴講生を前に、あの「一般言語学講義・第三講」を行っていたことになる。この符号になんら歴史的な事柄が絡むものではないが、妄想が広がるのも事実だ。これは得意な分野である。そしてもうすでにお分かりのように、カンディンスキーの「抽象」とソシュールの「記号」とを対置させたいのである。
ソシュールの弟子たちによって編まれた『一般言語学講義』やその手稿で彼は、まだ存在しないが、言語学を包み込む記号学を予見し、次のようにいっている。

    「人々は、言語学が自然科学の次元に属するのか歴史科学の次元に属するのかをを知ろうとして議論を重ねた。言語学はその二つのいずれにも属さず、未だ存在しないとはいえ、記号学という名のもとに存在すべき科学の一部門に属している。」

カンディンスキーの「抽象」を「記号」としてイメージし、その想いを、稚拙な理解で素描して差し出すには、どうしても無理があるのは承知だが、それでもなお試みるなら、信号の「赤」や「黄」はさておき、ソシュールのいう「言語記号」とは、「馬」などという指し示す言葉は、その「意味される内容」とで表裏一体=記号として成り立っている、と。たぶんこの関係こそ文化であるのだろうが、この「馬」は恣意的である、と。さらに、これらの記号は独立しているのではなく、システムとして、「馬」は「猫」や「犬」等との差異によって成立する、と。社会科学などに親しんできたものとしては、これを「真理」などないと論証した一例、と驚愕しながら読まざるえなかったのですが……。
ともあれ、カンディンスキーのコンポジション7だ。文意の脈絡をふまえるなら、その全体はシステムである、ということになる。パーツ(記号)が全体の中で相互に軋みあっている。この運動を成立させる手立てこそ論理である。コンポジション7のカンディンスキーはそのために三年を要した事になる。という独断が、ソシュールの「記号」を援用することによって成立する。そしてついに、コンポジション7という全体は、情報=物語であるか?またそのように呼ぶことに意味はあるか?老婆心ながらお断りしておきたいが、またこの様な場で好みを持ち出す非礼を詫びながらではあるが、これらの思いは、あの喧しかったテクスト論とは最も遠いゐところにある。
さて、とおこがましくも続けよう。
これから御覧いただく『大阪物語』には、二人の女優が登場する。彼女たちは、舞台に上り役者たらんとし、相互に意味するものであるのか、あるいは指し示すものとなるのか。はたまた、相互に記号として軋み合うことになるのか。そうして役者となるのか。それらはすべて観てのお楽しみとなる。

最後までお楽しみ頂ければ幸いであり、望外の喜びです。(05 .11.23)



『大阪物語』のアンケート(2005.12.29)


      この文は、『闇 黒光/更新記録・編集後記』の「2005/12/29」号に記載された。(2006.10.30 大阪演劇情報センター)


『大阪物語』へご来場者の方にアンケート用紙をお配りしたところ、多くの方々に回答をいただきました。ご協力ありがとうございました。
このアンケート項目の一つに「ご感想などありましたらよろしくお願いします」があり、そこにメッセージ、感想、叱咤激励等いただいたのですが、率直な尋ねもありました。ここではこれに限り、各項目の「問」はそのままではありませんが、箇条書きでお応えできればと思い、筆を起こしました。文責は総て、「問」「回」ともに闇黒光にあります。
なお、現状の項目はすべてではありません。ときを得て「問」項目を追加していきます。一時にすべてを網羅するには、わたしの時間がないだけです。お許しください。追加時には、その旨お伝えいたします。
また、アンケートの集計結果は後日、『大阪物語』オフィシャルサイトで発表される予定です。

問: このお芝居はアングラですか?(05.12.29)
回: いいえ違います。
このように一言で言い切れれば気安いのですが、やはり問いの意図を推測してみます。
この問いかけが「このお芝居はアングラですね」という断定であれば、賛意をもとめている事になります。つまり「アングラ」に対する何らかのイメージがあるということになります。それに対して「このお芝居はアングラですか」は、そのイメージが断定するほどでなく、当たりをつけていることになるでしょうか。それは、いつも見ている芝居と違う、これは「アングラ」なんだろうか?ということでしょうか。いずれにしろ、ここでのこれらの「アングラ」は、仮想線の位置を逸脱していないように思われます。仮に「このお芝居は静かなお芝居ではないですね」でも、話しの取っ掛かりとしてはいいのではと推察します。つまり「芝居」に力点があり「アングラ」にはないと思われます。真意は「いつもわたしが見ている芝居と違いますね」でしょうか。
ここで「アングラ」とは「アンダーグラウンド」の略でと、話しを進めると、的外れになってしまわざるを得ません。ただ、わたしが危惧するのは、死語である「アングラ」を『大阪物語』に対置せざるをえないところに『大阪物語』があってしまったということを、払拭できなかったという事です。こうなると「アングラ」はまだ死語でない、という事になるのでしょうか?
これら上記をふまえ、回:の「いいえ違います」と「はい、そうです」の差異は無いことになります。とりあえず「いいえ違います」ということになります。
少々うがった文面になりました。紙数が決定的にたりません。別稿を起こす機会があればと思います。ただ、このような前提でも、わたしは十数年前に「アングラとは東京文化のなれの果て」と、公言して憚らず、
成文化もしましたことを、いまでも翻す立場にはありあません。

問: 話しのスジ分からなかったのですが?(05.12.29)
回: スジ(ストーリ)はありあません。
作劇段階では、スジ(ストーリ)が発生することを避けました。あえて申し上げればこれは『大阪物語』の方法です。
換言するために、スジ(ストーリ)をドラマ、物語、それを支える起承転結のことであるとしますと、それを意図しなかったということになります。しかし、舞台の幕が上がり、幕が下りるまで実時間は経過します。現象は立ち現れ、そして消えていきます。この時間にあがなわなければ、ここで言う「意図しなかった」という実態は獲得されません。それは、言葉としては、この実時間とは違う、演技の時間を獲得するということになります。このために、舞台での流れの逸脱があり、話しの飛躍があります。これらのリアリティーを獲得するために、稽古があり、そのリズムや間を突き詰めます。それは、飛躍や逸脱がないと装う事かもしれません。そうしてもう一つの演技の世界を捏造しなければなりません。そうしなければ演劇は存在しないと認識する者です。あらゆる手練手管を援用し、そのためなら、なりふり構わず総てを総動員するといっても過言ではありません。誤解を恐れずいえば、この俳優の演技を保証するために、衣装、メイク。音響効果、照明、舞台効果等々が動員され、演出がそれらを束ねます。今回の『大阪物語』ではそのための歌、演奏、タップ、多言語、手話もまた同等です。総じてそれらは未知座小劇場の演技論です。つまりはわたしたちが演技するということで立ち向かわなければならない、ここに「ある」という時間は、それほど強固であるということになります。
さて、やはりだからといって「話しのスジ分からなかったのですが」というスジについて、上記のように言葉足らずに綴りましたが、そこでも「スジがないというスジ」は残ります。舞台を作る側の思いが、舞台の時間として屹立しないからこそ、やはり「話しのスジ分からなかったのですが」があってしまうという事になる、というのが事の本質であると認識します。
残念ながら、この事態にまともにこたえきる論理は、今のわたしにはありません。出来れば、さらに研ぎ澄まされた舞台を目指しますので、明日のために、今日のそうでしかない未知座小劇場を甘受していただきたいと、希求いたします。
なお、なぜそのような、『大阪物語』のような方法を仮設するのかを、ここで開陳しなければならないと思いますが、それはあまりにも多く、未知座小劇場の演技論と演劇観に重なります。これらは「ようこそ闇 黒光へ!」に在論がありますので参照願えれば幸いです。

ようこそ闇 黒光へ! ジャンプ

問: 上演時間が2:30ほどありましたが、途中、休憩時間は無いのですか?(05.12.29)
回: 休憩時間はありません。これは「暗転」がないことに絡みます。今回の『大阪物語』でもそうでしたが、上演時間中に「暗転」という約束事を用いませんでした。この約束ごととはお芝居の上での約束ごと、のことです。一次的に黒衣は見えない、幕がおりれば、芝居は終わりであるや、何はともあれ、幕を下ろせば煙に幕、といった了解事項です。
これは、わたしの独断ですが、これらの了解事項の中で、どうもこの「暗転」だけは異質です。総てを観客に預けなければならないのです。これを嫌うには、明かりを点ける術しかありません。暗闇の中で喋れば、それは「暗転」ではありません。この様な約束事を、信用するわけには行きません。どうも自殺行為のように思われるのです。
つまりは、幕が上がり、そして幕が下りるまでは一つであると。したがって休憩はないという事になります。同時に打上花火は出ずっぱりという事になりました。

問: あの最後に落ちた枕はなんですか?(05.12.29)
回: これは少々、エチケット違反のお尋ねのように思われます。
と、言い放っても面白くありませんので、ある観客の方がいわれた「これ頂き」と思った話を紹介します。

「あの枕は、来年のテント公演のマクラ振りとして、『大阪物語』がオチましたね」

フムなるほど、と……
ま
あ、色々あるのではとお茶を濁したいのですが、絶望的な勇気をもってお尋ねいただいたのですから、次のような語り口はいかがでしょうか?
いつかもし、仮に『大阪物語』再演があるとして、そのときわたしはきっと、あの枕を、打上花火と曼珠沙華が二時間半にわたって積み上げてきたものを、一旦全否定するかのように落としたいと思います。そうすることで、そうしてしか、テーブルと林檎と座布団は空を飛ばないであろうと。これらが仕掛けとして飛んだりうごいたりするのは、愚の骨頂であろうと。またそうであるとき、打上花火と曼珠沙華の営為は真価を発揮するであろうと、思われます。

問: 客席に座っていて、最後には腰が痛く大変でした。(05.12.29)
回: 真に申し訳ありませんでした。われわれの力量でする、最善を尽くしましたが成果を見ませんでした。
まだスケジュールは確定していませんが、次回の際は腰に負担のかからない、客席を目指します。
同時に客席での負担を感じさせない舞台を……




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編集:未知座小劇場   編集責任:闇 黒光
第2版:2001年06月01日 最終更新:2017年09月10日(Sun) 11:20:59 AM